その他のちょっと良いセリフ
毎日続けて仕事があるってのは結構なことだよ

「故郷」より
瀬戸内海の小さな島に住む精一(井川比佐志)、民子(倍賞千恵子)の夫婦は、石船と呼ばれる小さな木造船で石を運び、年老いた父(笠智衆)と二人の子供と生活する糧としていました。大資本家が機械化の進んだ最新の大型船を使い効率よく合理的に作業を遂行するこの時世に、小さな古い石船に執着するのは無駄だと言われ、それを分っていながらも、この生活に深い愛着のある二人でした。
しかし、船のエンジンの不調と高額で見通しのつかない修理、今の石船を諦め工場で働かないかという義弟の勧めなどで、次第にこの故郷を離れる決心を迫られる精一と民子。瀬戸内工業地域の巨大なコンビナート群が、精一の心に重い影を落とします。そして、実際に工場を見学した精一は、重大な決断を迫られることになるのです。
このセリフは、上述したような、いわゆる産業の進化、資本主義の成熟に取り残された零細事業者の悲しみ、そして日々の質素な生活の単調さをボヤく精一に、一家馴染みの魚の行商・松下さん(渥美清)がかけた言葉です。
ふだん仕事に行き詰まったり追い込まれた時、逃げ出したい、放り投げたい、辞めたいという思念についつい支配されますが、そんな時に、先ずは一旦この言葉を胸に、目の前に仕事があることに感謝し、冷静になりたいものです。
調べるのやめました

「八つ墓村」より
複雑怪奇かつ難解な連続猟奇殺人事件の謎を解き、見事に解決した金田一耕助(渥美清)による、事件解決後の飄々としつつも諦念めいた意味深な発言。誰の為にもならない、誰の得にもならない、むしろ害悪にしかならないような真実は、調べる必要があるのか?いや、無い。調べたら調べたで、それを隠さなければならない、そのような真実に価値はあるのか?いや、無い。まるでそんな問答がひとしきり込められたような、短いながらも含蓄豊かなセリフです。探偵にとっては職務放棄、依頼者への背信行為とも言える、敢えて調査を止めるという選択。そこに金田一耕助を名探偵たらしめている優しさと聡明さを感じずにはいられません。
春になっとね 見渡す限り緑になって 花がいっぱい咲いて
牛がモリモリ草を食べて 乳ばドンドン出して
そん時になっと 住んどる人間もこん広か土地と 一緒に生き返ったような気がして
そん時は誰でも ああ 今年こそは何かよかことのありそうなって そう思うって
ねぇ父ちゃん そん時ば楽しみにせんば ね

「家族」より
九州は長崎県の南端に伊王島で生まれ育ち、炭鉱で働き細々と暮らす風見精一(井川比佐志)・民子(倍賞千恵子)夫婦は、炭鉱が閉山し失職、生活の糧を得るために遠く北海道は中標津の開拓村に移住し、酪農業を営むことを決断しました。
老いた父(笠智衆)と幼ない二人の子供を連れ、住みなれた島への愛惜と、前途への不安をおしての辛い旅立ちでしたが、長崎から博多、福山、万国博で賑わう大阪、東京、東北の寒村を経て北海道の玄関口・函館から東の果て根釧原野の開拓村まで日本列島縦断3000キロの長旅は、想像を遥かに絶する過酷な道行となってしまいました。
わずか数日の間に、幼い愛娘と老いた父親を失い、5人が3人となってしまった家族。夫婦は憔悴し、悲しみと絶望、そして北海道の過酷な冬の厳しさと未知の酪農にうちひしがれます。そして、生活のためとはいえ、この決断をくだしたせいで家族の二人の命を失うことになった自分を責め立てる精一。
このセリフは、そんな夫に対して、自分も同じぐらい悲しみの淵に追い込まれていながらも、妻がかけた励ましの言葉です。あまりに辛く厳しい出来事に見舞われても、それを耐え忍べば必ず運命は好転する。やがて冬は終わり、あらゆる生命力があふれる、美しくも力強い春がやって来る。人生の様々な苦境を前にした際に、胸にしたい言葉です。
女抜きで引っ越しができるとお思いですか?

「引っ越し大名!」より
藩の存亡を懸け、姫路(兵庫)から日田(大分)へ、移動人数10,000人、距離600Km、予算なし・・・という過酷な国替え=引っ越しの仕切り役「引っ越し奉行」を仰せつかった、ふだんは書庫にこもって本を読んでばかりの引きこもり侍・片桐春之介(星野源)。
柄に合わない任務と前途多難におののく春之介は、幼馴染で武芸の達人・鷹村源右衛門(高橋一生)や前任の引っ越し奉行の娘である於蘭(高畑充希)に助けられ、知恵と工夫なしではまず成し遂げられない一大事業=引っ越しに臨みます。
これは目の前の、そしてこれから間違いなく降りかかって来るであろう無理難題の数々に怖気づく春之介たちに向けた、於蘭によるこのうえなく頼もしく力強いセリフです。自信、そして前任の引っ越し奉行の娘であることの強い自負心に満ちた威勢のいいひと言は、春之介たちを見事に鼓舞したのでした。
…ちなみに余談ながらも、筆者個人的に、過去に経験した幾度かの引っ越し全てにおいて、間違いなく母や妻が居たればこそテキパキと合理的に事が進んだと、心の底からの感謝と共に、強くそう思っております。
自分を醜いと知った人間は決してもう醜くねえって。
事件はきわめて難しい状況に直面し、連日の皆さんのご苦労にもかかわらず、遅々として捗りません。

「砂の器」より
殺人事件の被害者の身許が不明、殺される直前に誰かと会っていたことが判明したが、その人物も不明。そのふたりの会話のなかで交わされていた謎の言葉も、それが何を指すのか全くもって不明。
あらゆることが謎のまま捜査は難航どころか迷宮入りがちらつくほど暗礁に乗り上げていました。そんな八方塞がりの状況下、真夏のうだるような暑さのなか開かれた捜査会議で、とあるベテラン刑事が発した苦渋の言葉。
それは捜査陣にとっての目の前の現実を過不足なく客観的に表した発言であると同時に、この事件がいかに難解であるか、解決までの道のりが果てしなく遠く険しいことを想起させます。
しかし、知恵と気力体力を振り絞った不撓不屈の捜査の果てに、物語は衝撃と戦慄の真実へと至り、その核心は、人間の業と宿命の深淵へと導かれるのです。
君の気持ちもわかるよ。わかりすぎるほどよくわかるよ。
だがね、それもいっときの感情だよ。
明日になれば気持ちも変わるさ。何もかも忘れてしまうよ。

「秋津温泉」より
死に直面し、自ら死を望んでいた男(長門裕之)。彼を献身的に支え、はつらつとした精気を与え続け、生きる希望を植え付けた女(岡田茉莉子)。秋津温泉での二人の出会いは、間違いなく運命的でした。再生を果たした男は、女を愛し、また女も男を愛しました。女が男に注ぎ込んだ生きる力は、男の中で色気となり、女を魅了したのです。
しかし、男が愛したのは女だけではありませんでした。男は結婚しました。糟糠の妻との間に子を持ち、東京に暮らす男。そして数年に一度秋津温泉に現れ、都合よく自分を抱いて去ってゆく男に翻弄される女。気づくと十七年もの月日が経っていました。皮肉なことに出会った時とは反対に、女が死を望むようになっていたのです。それは男への愛の不毛に消耗し絶望したからです。
このセリフは、そんな女に男が去り際に放った、ある意味無責任と軽薄の極致とも言える放言です。他ならぬ男自らが弱らせ絶望させ、そのせいでこれから死のうとしている女に対しての去り際の言葉としては、了見を疑わざるを得ません。いや、この言葉以前に、死のうとしている女の前から去るという行動が衝撃的ですらあります。
ただ、そういった背景と文脈から切り離された、この物語とは無関係な、純粋な慰めと励ましの発言としてならば、これは過不足なく機能的な言葉かもしれません。
お前もいずれ、恋をするんだなぁ。あぁ、可哀想に。
先生からは1点だけ、幸せになってください




