松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。
自分を醜いと知った人間は決してもう醜くねえって。
その他のちょっと良いセリフ
事件はきわめて難しい状況に直面し、連日の皆さんのご苦労にもかかわらず、遅々として捗りません。

「砂の器」より
殺人事件の被害者の身許が不明、殺される直前に誰かと会っていたことが判明したが、その人物も不明。そのふたりの会話のなかで交わされていた謎の言葉も、それが何を指すのか全くもって不明。
あらゆることが謎のまま捜査は難航どころか迷宮入りがちらつくほど暗礁に乗り上げていました。そんな八方塞がりの状況下、真夏のうだるような暑さのなか開かれた捜査会議で、とあるベテラン刑事が発した苦渋の言葉。
それは捜査陣にとっての目の前の現実を過不足なく客観的に表した発言であると同時に、この事件がいかに難解であるか、解決までの道のりが果てしなく遠く険しいことを想起させます。
しかし、知恵と気力体力を振り絞った不撓不屈の捜査の果てに、物語は衝撃と戦慄の真実へと至り、その核心は、人間の業と宿命の深淵へと導かれるのです。
人を愛することは 厳しいことなんだよ
それは戦いでさえある

「愛と誠」より
東京の財閥の娘・早乙女愛(早乙女愛)は、幼少時に蓼科の別荘でスキーをしている最中に危うく谷に転落する寸前、地元の不良少年・太賀誠(西城秀樹)に助けられるが、その時に彼の額には深く大きな傷が残った。
9年後、同じく蓼科で高校の部活合宿中に暴走族の襲撃に遭う愛を、偶然にも誠が再び助けるという運命的な再会を果たす二人だが、誠は警察に補導されてしまう。
愛は、過去と現在の二重の償いをすべく、父の権力で、誠を自分も通う名門・青葉台高校に転入させた。しかし、誠は手段を選ばぬ暴力で学園を支配し、その横暴は日増しに激化、誠を転入させた愛の立場も悪くなっていた。
そんな誠の常軌を逸した暴君っぷりが、かつて自分を救った際に負った傷に起因し、そのせいで誠の家族は離散、そんな運命への復讐として、無軌道な暴力人生を送っていると知った愛は、学園と親に内緒のアルバイトを始め、稼いだ金を誠に貢ぎ始めるが…。
このセリフは、愛へ一方的な恋心を寄せる同級生の岩清水弘(仲雅美)が、誠への贖罪に身を持ち崩しながらも暴走する愛を見かねて発した言葉。単に金を与え甘やかすことは共依存の負のサイクルが加速するだけで、愛のためにも誠のためにもならない、それは贖罪にもならないと諭す。
いくら引け目や負い目があるからといって、悪を悪だと諭せない不毛な関係の先には堕落しかない。映画の中ではそこまで描かれてはいませんが、自分が恋慕する相手でも道を逸れていれば甘い言葉を捨て厳しく諫めるこの岩清水弘という男は、なかなか見どころのある人物なのかもしれません。
今度あの子に会ったら、こんな話しよう、あんな話もしよう、そう思ってね、家出るんだ。いざその子の前に座ると、ぜんぶ忘れちゃうんだね。
幽霊よりも、人間のほうが恐いってことです。
ちゃんと知ってるのよ
前の奥さんにこっそり会ってるってこと
行かなくては。
止まっちゃいけない。

「夜の片鱗」より
昼は工場、夜はバーで働く19歳の芳江(桑野みゆき)は、駆け出しのヤクザ組織の下っ端・英次(平幹二郎)の情婦となった。惚れた弱みか、組織への上納金の無心など英次の頼みを断れない芳江。一方でうだつの上がらない日々を送る英次は組織での出世も叶わず、単なる芳江のヒモに成り下がっていた。やがて英次の鬼畜っぷりはエスカレートし、遂には芳江に売春を強要するようになった。さすがに気持ちも肉体も悲鳴を上げ耐えきれなくなる芳江。しかし、英次がどうしようもない男と知りつつ離れることのできない複雑な心理に揺れ動き翻弄され、結局逃げだすことができない。そんなただひたすらに堕ちていく日々の中、建築技師の藤井(園井啓介)と出会う。芳江に惚れた藤井は、なんとかして芳江を救い出し、自分の転勤先に連れて行き、結婚して幸せに導こうとするが…。
このセリフは、そんな藤井の求愛に応えたい、すなわち英次との地獄のような日々から脱出したい気持ちを必死に自分に言い聞かせる芳江の心の叫びです。しかし、英次により消えない焼き印を刻まれたかのような芳江は、まるで薬物中毒からの脱却さながらに苦悶するのです。また、英次との関係は救われようの無い共依存の域に達していたとも見ることができます。良くも悪くも、男女の関係は簡単には断ち切れない、理屈では説明できないような抗い難い引力により否応なく結び付けられ、人はそれを時に優しく「腐れ縁」と言ったり、時に厳しく辛辣に「呪縛」と突き放したりします。とにかく、強く結びついてしまった悪しき関係の切断には、このセリフのような強い気持ちが、最低限必要なのです。
責任や。『普通』っていうのは、そういうもんやろ?
春になっとね 見渡す限り緑になって 花がいっぱい咲いて
牛がモリモリ草を食べて 乳ばドンドン出して
そん時になっと 住んどる人間もこん広か土地と 一緒に生き返ったような気がして
そん時は誰でも ああ 今年こそは何かよかことのありそうなって そう思うって
ねぇ父ちゃん そん時ば楽しみにせんば ね

「家族」より
九州は長崎県の南端に伊王島で生まれ育ち、炭鉱で働き細々と暮らす風見精一(井川比佐志)・民子(倍賞千恵子)夫婦は、炭鉱が閉山し失職、生活の糧を得るために遠く北海道は中標津の開拓村に移住し、酪農業を営むことを決断しました。
老いた父(笠智衆)と幼ない二人の子供を連れ、住みなれた島への愛惜と、前途への不安をおしての辛い旅立ちでしたが、長崎から博多、福山、万国博で賑わう大阪、東京、東北の寒村を経て北海道の玄関口・函館から東の果て根釧原野の開拓村まで日本列島縦断3000キロの長旅は、想像を遥かに絶する過酷な道行となってしまいました。
わずか数日の間に、幼い愛娘と老いた父親を失い、5人が3人となってしまった家族。夫婦は憔悴し、悲しみと絶望、そして北海道の過酷な冬の厳しさと未知の酪農にうちひしがれます。そして、生活のためとはいえ、この決断をくだしたせいで家族の二人の命を失うことになった自分を責め立てる精一。
このセリフは、そんな夫に対して、自分も同じぐらい悲しみの淵に追い込まれていながらも、妻がかけた励ましの言葉です。あまりに辛く厳しい出来事に見舞われても、それを耐え忍べば必ず運命は好転する。やがて冬は終わり、あらゆる生命力があふれる、美しくも力強い春がやって来る。人生の様々な苦境を前にした際に、胸にしたい言葉です。






