その他のちょっと良いセリフ
女ってね、別れるとき男が自分のために傷ついてたらバンザイなんだよ。

「時代屋の女房」より
35歳気ままな独身の安さん(渡瀬恒彦)が営む古道具屋「時代屋」に、ある日、真弓(夏目雅子)という女が現われ、その日のうちにふたりは男女の関係になり、真弓はそのまま店に居ついてしまいます。
真弓は「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」と、自分がどういう過去の持ち主なのか語ろうとせず、安さんも「何も言わず、何も聞かずが好きだから」と、無関心が粋とばかりに、あえて聞こうとはしません。
ふらっと店を出たまましばらく帰ってこない日が続いたかと思うと、何事もなかったかのように戻ってくる真弓。恋人関係ではあるが、淡々とした、平熱に冷めたような、不思議な距離感・温度感の日々が続きます。
そしてまた彼女がいなくなりました。何度目かの失踪です。安さんには慣れたものですが、今度はいつもより長そうです。
さすがに不安になり、やきもきし、苛立ち、時に悶々とする安さん。揃いも揃って変わり者ばかりな彼の仲間たちは、同情したり、励ましたり、笑い飛ばしたり、慰めたりと様々ですが、そんな中で、ある女性が放ったひと言がこのセリフです。
言わずもがな、主語は「女」だけに限らないでしょう。非情に手前勝手な、心無い言い様ですが、妙に共感・納得できるものがあります。それは、自分を失って相手が負った心の傷が大きければ大きいほど、相手にとっての自分の存在(自分への恋慕や愛情)が大きいことに他ならないからです。自分が相対的に持ち上がるからです。
実に残酷な心情をぬけぬけとあからさまに言い表したセリフですが、老若男女問わず、人間なんてすべからくそんな生きもの、と達観したくなるような名言です。
そして、上述の、真弓の「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」、安さんの「何も言わず、何も聞かずが好きだから」というスタイルやスタンスは、恋愛に傷つかないための防御的な知恵として、編み出されたのかもしれません。
ゆっくり知っていけばいいさ。夫婦なんだから
“真実”と言うと聞こえがよすぎるかもしれませんが、
我々が求めているのは、それです。
10のうちひとつぐらいは真実かもしれません。
それを探し当てるのは、結構面白い作業ですよ。

「クリーピー 偽りの隣人」より
元警視庁捜査一課の刑事で庁内随一の犯罪心理学のエキスパートである高倉(西島秀俊)は、ある事件で自らの知識や経験を過信したがゆえに起こしてしまった失態により退職、大学で教鞭を執っていた。
しかし、元刑事の性(さが)が再び頭をもたげた高倉は、後輩の刑事・野上(東出昌大)に乞われ、未解決一家失踪事件の謎を究明すべく、事件唯一の生き残りである長女・早紀(川口春奈)の記憶をたどり事件の核心に迫ろうとしていた。
そのさなか、記憶が曖昧でかたくなに心を閉ざす早紀に対し、高倉が協力の懇願として口にしたセリフ。
言わば職業的な紋切り型と言ってもいい口説き文句ですが、“真実”の一義的な価値をシンプルに言い表しています。
ただし世の中で“真実”は、取り扱い要注意でもあります。むやみやたらと追い求めたり扱ったりすべきではないとすら言えるほどに、悪しき作用を及ぼすことも大いにあり得ます。
そして、時としてとんでもなく恐ろしい闇が潜む場合があり、まさに高倉たちはその闇に飲み込まれ、翻弄されて行くのです…
ママも大変ですね

「黒革の手帖」より
銀行員の原口元子(山本陽子)は、勤め先の銀行に複数もの架空名義の裏金口座の存在を突き止め、それをネタに上層部から口止め料として大金をせしめた後に退職、銀座でホステスの修行を経て自分のクラブ「カルネ」をオープン、オーナーママとなっていた。やがて、架空名義預金者の一人・楢林(三國連太郎)をカルネの客にし、色仕掛けで篭絡、架空名義預金をネタに脅して再び大金をせしめることに成功する。
ところが、ある日、かつて元子がカルネで雇っていた若手のホステスで、独立して自分の店を持つためにカルネを辞めていった波子(萬田久子)が乗り込んで来た。波子は楢林の愛人で、贅沢三昧の放蕩生活を送るばかりか、楢林の架空名義預金を投じた資金援助により、カルネと同じビルの上層階に全てにおいてカルネの上をゆく自分の店を持つ算段だったのだが、元子に大金をせしめられた楢林は余裕が無くなり、波子への援助を打ち切ったのだった。
パトロンを元子に奪われたかたちの波子は怒髪天を衝く勢いで元子を口汚く罵った挙句に掴みかかる。一方の元子も黙っておらず、暴力には暴力で応戦、銀座の女同士の喧嘩は泥仕合の様相を呈する。なんとか周りの制止で収まった騒動だが、間の悪いことに、その一部始終を、元子がほのかな想いを寄せる相手である、出馬を前にした政治家の卵でカルネの新しい常連客になりつつあった安島富夫(田村正和)が見ていた。
このセリフは、女同士の喧嘩が終わったばかりの、傷つき乱れた元子に安島がかけた言葉。他人行儀で表面的な社交辞令に過ぎない、軽く薄っぺらい言葉だが、それはこの場にあって多くの言葉を費やすのは元子にとっても気まずいだろうとの配慮があってのこと(→筆者の勝手な憶測)、この数日後、落ち着きをみせた元子に対して余りにも正論すぎてぐうの音も出ないような、それでいて元子を優しく包み込むフォローの言葉があった。まさに、男も惚れるモテ男。それは、どんな言葉だったのか、本編で確かめるべし。
好きなことがあるのはいいことなんじゃないかな
生き延びるため、時には長きものにも巻がれなければならぬ!
命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。
エロ100%でしょ

「マダムと女房」より
モダンの風が吹き荒れる時代の東京。郊外に建つ文化住宅に、劇作家・芝野(渡辺篤)が女房(田中絹代)とまだ幼い子供たちを連れて引っ越してきました。ある日、執筆中に隣家からジャズの音が流れてきて、苛立った芝野が抗議に行くと、現れたのは妖艶な美貌のモダンな洋装マダム(伊達里子)でした。部屋に招き入れられ、ミイラ捕りがミイラになったかのようにジャズの演奏に聴き惚れ、ついでに艶っぽいマダムも気になって仕方がない芝野。いっぽうその頃女房は、旦那が助平心でマダムのエロスにメロメロになっているに違いないと踏み、家で嫉妬の炎を燃やしていたのでした。このセリフは、そんな女房が放った、帰宅した旦那を激しく責めたてるひと言です。
先進的なモダンカルチャーの象徴の一つと言える、日本初の本格的トーキー映画である本作ですが、音声のみならずセリフ自体の表現にも、1931年の作とは思えぬほどの時代を超えた先鋭的なモダンさが、力強く宿っておりました。






