その他のちょっと良いセリフ
俺にだって一生にいっぺんくらい役作りってやつをさせてください

「蒲田行進曲」より
新作『新選組』映画に沸く撮影所。うだつの上がらない大部屋俳優のヤス(平田満)は、心酔し敬愛するスター俳優・銀ちゃんこと倉岡銀四郎(風間杜夫)のため、そしてその銀ちゃんの身代わりに自分が結婚することになった、彼の子を身ごもる落ち目の女優・小夏(松坂慶子)のために、軽くて半身不随、最悪で死亡という危険きわまりない池田屋階段落ちのシーンで、銀ちゃん演じる土方歳三に斬られ高さ10メートルから転げ落ちる役を、自ら申し出ます。ふだんは役作りをする必要も無い、名も無き雑魚役を演じて日々を過ごす大部屋俳優にとって、この生死のかかった階段落ちは、一日だけスターになれる一世一代のひのき舞台。このセリフは、死の恐怖にさいなまれるヤスが、撮影直前に最後の覚悟をする時間をもらうために、自分以外の全員に向けた魂の願いでした。大部屋俳優でも俳優は俳優。命がけの大仕事を前に、その矜持と尊厳がほとばしる、静かに重厚なセリフです。
ある年齢に達したら、一切仕事から離れて、鮭のように故郷に帰って暮らしたい。かねがね私はそう考えて参りました。
恥ずかしいっていうことは
人間だけが知っていることだ
尊いことだよ

「カルメン故郷に帰る」より
雄大で風光明媚な浅間山麓・北軽井沢で牧場を営む青山家の娘・おきん(高峰秀子)は、家出をして東京でリリィ・カルメンという名のストリッパーになっていた。秋のある日、仲間の踊り子・マヤ朱実(小林トシ子)を連れ、故郷へ錦を飾りに帰ってくるおきん。派手な出で立ちでエキセントリックな行動をするハイカラ娘たちに村人たちは戸惑いを隠せずにいるが、自分たちを芸術家だと信じる2人は、村でストリップ公演を敢行すると言いだす。おきんの父・正一(坂本正)は、おきんが子供の頃に牛に頭を蹴られたことが原因で少し頭が弱くなったと疑っており、そんな娘を不憫に憂いていたが、ここにきて自分の娘がストリッパーであること、村人たちの前でストリップすなわち裸踊りを実演しようとしていることを、娘と顔を合わせられないほどに恥ずかしいと、涙ながらに嘆いていた。
これは、そんな正一を、芸術文化の養護推進を是とする信念の持ち主である村の小学校の校長先生(笠智衆)がなぐさめたセリフです。正一は、父としておきんを恥ずかしいと思うに加え、不憫に、そして申し訳なく思い、さらにはそんな自分をも恥ずかしいと思っていたのかもしれません。しかし、おそらく正一が抱く幾つもの感情をすべて洞察していた校長先生の言葉は、涙に咽ぶ正一を包み込むなぐさめの言葉であると同時に、娘を思う父への賛辞であり、激励でもあったのです。
女ってね、別れるとき男が自分のために傷ついてたらバンザイなんだよ。

「時代屋の女房」より
35歳気ままな独身の安さん(渡瀬恒彦)が営む古道具屋「時代屋」に、ある日、真弓(夏目雅子)という女が現われ、その日のうちにふたりは男女の関係になり、真弓はそのまま店に居ついてしまいます。
真弓は「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」と、自分がどういう過去の持ち主なのか語ろうとせず、安さんも「何も言わず、何も聞かずが好きだから」と、無関心が粋とばかりに、あえて聞こうとはしません。
ふらっと店を出たまましばらく帰ってこない日が続いたかと思うと、何事もなかったかのように戻ってくる真弓。恋人関係ではあるが、淡々とした、平熱に冷めたような、不思議な距離感・温度感の日々が続きます。
そしてまた彼女がいなくなりました。何度目かの失踪です。安さんには慣れたものですが、今度はいつもより長そうです。
さすがに不安になり、やきもきし、苛立ち、時に悶々とする安さん。揃いも揃って変わり者ばかりな彼の仲間たちは、同情したり、励ましたり、笑い飛ばしたり、慰めたりと様々ですが、そんな中で、ある女性が放ったひと言がこのセリフです。
言わずもがな、主語は「女」だけに限らないでしょう。非情に手前勝手な、心無い言い様ですが、妙に共感・納得できるものがあります。それは、自分を失って相手が負った心の傷が大きければ大きいほど、相手にとっての自分の存在(自分への恋慕や愛情)が大きいことに他ならないからです。自分が相対的に持ち上がるからです。
実に残酷な心情をぬけぬけとあからさまに言い表したセリフですが、老若男女問わず、人間なんてすべからくそんな生きもの、と達観したくなるような名言です。
そして、上述の、真弓の「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」、安さんの「何も言わず、何も聞かずが好きだから」というスタイルやスタンスは、恋愛に傷つかないための防御的な知恵として、編み出されたのかもしれません。
いろんなことがあって
だんだんほんとうの夫婦になるんだよ

「早春 」より
数年前に幼い息子を病気で亡くして以来、倦怠期を迎えていたサラリーマンの正二(池辺良)と昌子(淡島千景)の夫婦は、正二が女友達・キンギョこと千代(岸恵子)の積極的な誘惑に負け、犯してしまった一晩の過ちが発覚し、夫婦関係の危機を迎えていました。最初はとぼけて煙に巻く正二でしたが、怒りのあまり家を出たきり戻らない昌子の強硬な姿勢に、焦りと反省、贖罪の気持ちで心がいっぱいになります。そんな中、東京から遠く岡山の山間地へと転勤を命じられていた正二の引っ越しの日が近づきます。結局引っ越し当日になっても昌子は戻らず、独りさびしく旅立った正二は、旅の途中、転勤で琵琶湖畔に住まう会社の先輩・小野寺(笠智衆)を訪ねます。
このセリフは、正二と昌子の結婚の仲人を務め、ふたりをよく知る小野寺が、正二にしみじみと、噛んで含めるように言った一言です。悪行は、開き直ったり、ましてや繰り返すなど論外です。素直に謝り、猛省すること。諍いの火種はまだ小さいうちに、取り返しのつくうちに歩み寄って消すこと。それでも色んな摩擦が起きるかもしれないし、負った心の傷は消えないかもしれないが、それを乗り越えることが夫婦をより強靭な関係に導いてくれること。負った心の傷は、完全には消えません。ただ、それでも心から謝り、誠意を示すこと。また可能な限り許そうと努力すること。そうして至った再生が、夫婦愛の成熟したかたちなのではないか?人生の先輩の含蓄が、味わい深く心に沁みます。
ったく。仕事から帰ってきたら風呂も沸いてない。

「GONIN」より
久しぶりに帰った自宅で、風呂に入ろうとし浴室を覗いた時に萩原昌平(竹中直人)がつぶやいた独り言。
この発言は、独り言だからまだよかったものの、その下地・背景にあると思われる、夫(父)は外で仕事をし金を稼ぎ、妻(母)は家を守り子を育て、夫の疲れを癒すべく甲斐甲斐しく世話をする、なんて思想は論外でしょう。
もっとも、夫婦によってはそれぞれの役割を当人納得の上で分担している場合もあるので、他人の夫婦(家庭)のありように第三者が軽々しく口を出すべきではありませんが…。
ちなみに、夫であり父である萩原昌平は、上記の発言(だけ)によれば、おそらく一般的には、一生懸命に仕事をし金を稼ぎ一家を養っているという自負心の塊のように思われますが、実際は仕事をしていない、リストラされたサラリーマンです。そのことを家族に言い出せずに、出張続きで仕事が忙しいと嘘をつき、家に帰らず毎日外で暇をつぶす日々を過ごしています。
この発言は、その鬱屈に起因する悪辣な暴言なのかもしれません。あるいは、自分が仕事をしているという嘘にリアリティを持たせるための演出なのかもしれません。
そして、その一方で、実は彼の家族は・・・
行かなくては。
止まっちゃいけない。

「夜の片鱗」より
昼は工場、夜はバーで働く19歳の芳江(桑野みゆき)は、駆け出しのヤクザ組織の下っ端・英次(平幹二郎)の情婦となった。惚れた弱みか、組織への上納金の無心など英次の頼みを断れない芳江。一方でうだつの上がらない日々を送る英次は組織での出世も叶わず、単なる芳江のヒモに成り下がっていた。やがて英次の鬼畜っぷりはエスカレートし、遂には芳江に売春を強要するようになった。さすがに気持ちも肉体も悲鳴を上げ耐えきれなくなる芳江。しかし、英次がどうしようもない男と知りつつ離れることのできない複雑な心理に揺れ動き翻弄され、結局逃げだすことができない。そんなただひたすらに堕ちていく日々の中、建築技師の藤井(園井啓介)と出会う。芳江に惚れた藤井は、なんとかして芳江を救い出し、自分の転勤先に連れて行き、結婚して幸せに導こうとするが…。
このセリフは、そんな藤井の求愛に応えたい、すなわち英次との地獄のような日々から脱出したい気持ちを必死に自分に言い聞かせる芳江の心の叫びです。しかし、英次により消えない焼き印を刻まれたかのような芳江は、まるで薬物中毒からの脱却さながらに苦悶するのです。また、英次との関係は救われようの無い共依存の域に達していたとも見ることができます。良くも悪くも、男女の関係は簡単には断ち切れない、理屈では説明できないような抗い難い引力により否応なく結び付けられ、人はそれを時に優しく「腐れ縁」と言ったり、時に厳しく辛辣に「呪縛」と突き放したりします。とにかく、強く結びついてしまった悪しき関係の切断には、このセリフのような強い気持ちが、最低限必要なのです。
生き延びるため、時には長きものにも巻がれなければならぬ!
命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。
無くなウミガメ 明日があんで
明日できることは今日せんでもいいけどな
ボチボチ行け

「岸和田少年愚連隊」より
1975年、大阪・岸和田。中学生のチュンバ(矢部浩之)と小鉄(岡村隆史)は、喧嘩に明け暮れる札付きのワルたち。仲間のサイ(宮迫博之)、アキラ(宮川大輔)らと共に、敵対するアンドウ(吉田敬)、ゴリ(原西孝幸)、ゴリの連れ(藤本敏史)、ゴリの兄(山本太郎)らと、殴る蹴るのみならず、バット、鉄パイプ、石、鉄板など武器は何でもアリの熾烈な抗争を繰り広げていました。
そんなヤクザ顔負けの日々の中、ある夜、瀕死の重傷を負い、ほうほうのていで帰宅したチュンバに、TV番組「野生の王国」のウミガメが泣きながら命がけで産卵する姿を見ながら、オトン(石倉三郎)がかけた言葉。
こてんぱんにやられる時もある。そんな夜はじっと耐えて体を休め、ケガを癒し、気持ちを切り替えて、明日(以降で)やり返せ!
そんな父の激励がこめられたセリフです。やられたらやり返すということ自体の是非はともかく、思うように上手くいかない時も、納得いかない時も、へこたれずに強くたくましく育って欲しい親心がにじみ出ております。そのようにして、昭和の岸和田の少年たちは、大人たちから時に厳しく時に温かく怒られ助けられ、愛され笑われ、タフでハードな日々を過ごし、大人になっていくのでした。
それにしても…井筒和幸監督による、セピア色のノスタルジーと血沸き肉躍る生々しいバイオレンスアクションがあふれる青春グラフィティーの本作、本稿冒頭でも何名か列挙しましたが綺羅星のごとき超豪華キャストです。



