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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

毎日続けて仕事があるってのは結構なことだよ

「故郷」より

瀬戸内海の小さな島に住む精一(井川比佐志)、民子(倍賞千恵子)の夫婦は、石船と呼ばれる小さな木造船で石を運び、年老いた父(笠智衆)と二人の子供と生活する糧としていました。大資本家が機械化の進んだ最新の大型船を使い効率よく合理的に作業を遂行するこの時世に、小さな古い石船に執着するのは無駄だと言われ、それを分っていながらも、この生活に深い愛着のある二人でした。
しかし、船のエンジンの不調と高額で見通しのつかない修理、今の石船を諦め工場で働かないかという義弟の勧めなどで、次第にこの故郷を離れる決心を迫られる精一と民子。瀬戸内工業地域の巨大なコンビナート群が、精一の心に重い影を落とします。そして、実際に工場を見学した精一は、重大な決断を迫られることになるのです。
このセリフは、上述したような、いわゆる産業の進化、資本主義の成熟に取り残された零細事業者の悲しみ、そして日々の質素な生活の単調さをボヤく精一に、一家馴染みの魚の行商・松下さん(渥美清)がかけた言葉です。
ふだん仕事に行き詰まったり追い込まれた時、逃げ出したい、放り投げたい、辞めたいという思念についつい支配されますが、そんな時に、先ずは一旦この言葉を胸に、目の前に仕事があることに感謝し、冷静になりたいものです。

その他のちょっと良いセリフ

全ての真実が、国民の安全と幸せにつながるとは限りません。

「ミッドナイトイーグル」より

日本のほぼ半分に壊滅的な打撃を与える特殊時限爆弾を積んだ米軍戦闘機が北アルプス山中に墜落。爆弾を起動させようとテロリストが戦闘機に迫り予断を許さぬ状況の中、政府に国民への真実の開示を強く求める雑誌記者(竹内結子)に対し、対策の指揮を執る内閣総理大臣(藤竜也)が諭すように述べたセリフ。真実というものが孕む二面性の負の側面、それを真実だからという理由で濫用することの危険性、真実の取り扱いには慎重な配慮が必要とされることを、端的に表現したひと言。もしこの場面で日本国民が「真実」を知らされたならば、間違いなく収集不可能な大パニックが起こっていたでしょう。

いいか人間誰しも欠点というものがあるんだよ。

「男はつらいよ 幸福の青い鳥(第37作)」より

かつて世話になった旅役者一座の座長の忘れ形見・美保(志穂美悦子)の世話をすることになった寅次郎(渥美清)だが、まるで娘のように美保の将来を案じる気持ちが行き過ぎて、つい妄想に浸る。その妄想の中で、幸福をつかんだ美穂が旦那のことをまじめ過ぎてつまらないと愚痴った際に諭した言葉。世の大多数の人間が救われるであろう言葉。

大丈夫、そんな心配することはありませんよ。

「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(第32作)」より

墓参りに訪れた岡山・備中高梁の寺で、家事を仕切る出戻り娘の朋子(竹下景子)に一目惚れした寅次郎(渥美清)は、成り行きで坊さんの真似事をしてしばらく暮らすことになった。ある日、寺の住職・石橋泰道(松村達雄)と、写真家を目指す息子・一道(中井貴一)が言い争いとなり、一道は写真家への夢を叶えるために家を出て東京に向かうことに。そんな弟・一道を心配する姉の朋子に寅次郎がかけた言葉。それは男子たるもの父親と喧嘩して家出するぐらいじゃないと一人前になれないという、寅次郎の自らの過去を顧みつつの信条に根差していた。そんな寅次郎の温かくも力強い言葉に励まされた朋子は、次第に寅次郎に惹かれ…。

命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。

「大名倒産」より

家族とお国を守るために、分かっていながらも権力者の命に逆らえず罪を犯したことへの贖罪として自死を選ぼうとした実直な侍を、ぎりぎりのところで踏みとどまらせた小四郎(神木隆之介)のセリフ。
自ら選ぶ死はいかなる理由があれど、余程の特殊な場合を除き、決して本当の意味での贖罪にはなり得ません。それで満足するのは残念ながら死にゆく当人のみです。つまり単なる自己満足なのです。
ならば、その命を絶たず、家族のために、世話や恩や受けた誰かのために使う、それが生を受けた者の使命であり、生きる意味です。
思い詰めた時だけでなく、日々復唱したいほどの金言です。

「私を殺してでも行きたい?」「行きたい」「じゃいいわ。殺してちょうだい」

「釣りバカ日誌イレブン(第13作)」より

会社を休んで釣りに行きたいが、有休を使い果たし、身内の不幸の口実もすべて使い切ってしまったハマちゃん。残るはみち子さんくらいしかいなくなってしまった…と悩むハマちゃんに、みち子さんがかけた言葉。みち子さんの懐の深さが伝わってきます。

人の運命などというものは誰にもわからない。そこに人生の悩みがあります

「続・男はつらいよ(第2作)」より

幼いころ自分を捨てて出奔した実の母親を探しに、京都にやって来た寅次郎(渥美清)だが、ただ母親に会いに来ただけではなく、いつもの旅先のように、街頭で啖呵売を行う。母親に会えるのかもしれない期待もあってか、お客を煽る口上も、いつも以上に滑らかで勢いが増す寅次郎。そんな口上の中に紛れ込んでいたフレーズ。何気ない事を言っているように思えて、実はここには滋味深い人生哲学がこめられています。それは悩みであると同時に面白さでもある、そう高らかに主張しているようにも受け取れるセリフです。

まぁ あれだな
つらいこともあるんだろうけど 辛抱してやれや
一所懸命辛抱してやってりゃ いいことあるよ

何か困ったことあったら いつでも来いや

「幸福の黄色いハンカチ」より

失恋した花田欣也(武田鉄矢)は会社を辞めた退職金で新車を買い、心の痛手を癒すために北海道へ旅に出ました。道東で訳アリっぽい小川朱美(桃井かおり)という女性と出会った鉄也は、網走刑務所から出所したばかりの島勇作(高倉健)とも知り合い、三人で旅を進めます。
勇作は夕張の炭鉱で働き結婚していましたが、流産をきっかけに妻・光枝(倍賞千恵子)が前夫との間でも流産していた事が発覚、秘密を嫌った勇作は光枝と諍いを起こし、やけになって出かけた夜の歓楽街でチンピラたちに絡まれ、そのうちの一人を殺してしまったのでした。
粛々と受刑の日々が進むなか、まだ若い光枝の将来の再婚と出産のためによかれと獄中で離婚を強行していた勇作ですが、刑期を終える直前に光枝に手紙を送りました。そして、その手紙に勇作が込めたメッセージの結末を確かめに、三人はいちかばちか勇作の妻のもとへ、はるばる夕張へと向かうことに。
道中、ひょんなことから勇作が車を運転することになりますが、そこで運悪く検問に引っ掛かり、服役中に免許が失効している勇作の無免許運転が発覚してしまいます。しかし、勇作が逃げようとも隠そうともせず正直に自白したこと、そして運よく奇遇にも所轄警察署の交通係長・渡辺(渥美清)が、かつて勇作が夕張で殺人事件を犯した時の担当警察官だったことで、無免許運転が軽微な処分で済まされたのです。
このセリフは、そんな勇作との久しぶりの再会を喜んだ渡辺係長の、多くを語らない勇作の性格と、服役中の模範的な囚人生活を推察し、さらには出所後の心境をも慮っての言葉です。まるで同じ渥美清演じる『男はつらいよ』シリーズの寅次郎度々口にしているようなセリフで、ある意味本作ならではの独自性はありませんが、名優・渥美清の、噛んで含めるような口調と表情、行間から溢れる滋味深い人間味も相俟って、じんわりとしっかりと、確実に心に沁みるのです。

成功すれば もちろんいい
しかし失敗して赤字を出したとしても
やらねえよりマシだと 俺は思うな
何て言ったらいいか
赤字をおっかながってやらないのは
それでもう失敗なんだ
だから失敗をおっかながってやらねえより
やって失敗したほうが 俺はいいな

「同胞」より

岩手県にある過疎に苦しむ農村の青年会会長・清水高志(寺尾聡)を、東京の劇団スタッフ河野秀子(倍賞千恵子)が訪ねて来ました。村でのミュージカル公演を青年会に主催して欲しいという劇団側、その要望に応えて公演主催を実現したい高志ほか青年会の中心メンバーたち。しかし、主催するということは赤字だった場合のリスクを背負うことを意味し、反対意見が大多数でした。高志の熱意によって賛同者は徐々に増えていたとはいえ、青年会全体の意見は割れている状態で、最終結論を出す総会を迎えます。
このセリフは、総会での議論が紛糾する中で、結論が出ずに暗礁に乗り上げかけた際に、とある青年会のメンバーが発言したものです。
素朴で親しみやすい中に、芯の強い、腰の入った勇気と覚悟、そして力強さがこもった、とても普遍性がある言葉です。仕事、スポーツ、受験などなど、組織や個人の別を問わず、ジャンルも問わず、すべての挑戦者の胸に宿り息づいて欲しい考えです。筆者も本作を鑑賞し、このセリフに出会い、襟を正した次第です。
この発言をきっかけに、議論の風向きは代わり、ついに公演主催が決定します。そして、幾度となく中止の瀬戸際にたちながら、団結した若い力はとうとう公演当日を迎えます。果たしてその結末は…?

いろんなことがあって
だんだんほんとうの夫婦になるんだよ

「早春 」より

数年前に幼い息子を病気で亡くして以来、倦怠期を迎えていたサラリーマンの正二(池辺良)と昌子(淡島千景)の夫婦は、正二が女友達・キンギョこと千代(岸恵子)の積極的な誘惑に負け、犯してしまった一晩の過ちが発覚し、夫婦関係の危機を迎えていました。最初はとぼけて煙に巻く正二でしたが、怒りのあまり家を出たきり戻らない昌子の強硬な姿勢に、焦りと反省、贖罪の気持ちで心がいっぱいになります。そんな中、東京から遠く岡山の山間地へと転勤を命じられていた正二の引っ越しの日が近づきます。結局引っ越し当日になっても昌子は戻らず、独りさびしく旅立った正二は、旅の途中、転勤で琵琶湖畔に住まう会社の先輩・小野寺(笠智衆)を訪ねます。
このセリフは、正二と昌子の結婚の仲人を務め、ふたりをよく知る小野寺が、正二にしみじみと、噛んで含めるように言った一言です。悪行は、開き直ったり、ましてや繰り返すなど論外です。素直に謝り、猛省すること。諍いの火種はまだ小さいうちに、取り返しのつくうちに歩み寄って消すこと。それでも色んな摩擦が起きるかもしれないし、負った心の傷は消えないかもしれないが、それを乗り越えることが夫婦をより強靭な関係に導いてくれること。負った心の傷は、完全には消えません。ただ、それでも心から謝り、誠意を示すこと。また可能な限り許そうと努力すること。そうして至った再生が、夫婦愛の成熟したかたちなのではないか?人生の先輩の含蓄が、味わい深く心に沁みます。

おじさんは鈍くさいけど、世間体を気にしないしお世辞を言ったりしない。

「男はつらいよ 柴又より愛をこめて(第36作)」より

博(前田吟)、さくら(倍賞千恵子)、満男(吉岡秀隆)、諏訪家親子水入らず何気ない会話の中での、満男による寅次郎(渥美清)の人物評とも言えるセリフです。サラリーマンなど一般的な日本の社会人に必要とされる作法やしきたり、決まり事、そしてどうしようもなく生じる虚栄心のようなものが、まだ少年である満男の眼には、とても窮屈で不毛に思えており、そこから完全に自由かつ無縁に生きる寅次郎に対し、ある種の憧れを抱き始めていました。母のさくらが、寅次郎を尊敬しているのかと問うと、そこまでではないとはぐらかす満男ですが、このあと彼が煩悶しながらも少年から青年へと成長してゆく過程で、寅次郎という存在や生き方に度々助けられ、励まされ、一つの大きな指標となって行くのです。

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