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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

おじさんは鈍くさいけど、世間体を気にしないしお世辞を言ったりしない。

「男はつらいよ 柴又より愛をこめて(第36作)」より

博(前田吟)、さくら(倍賞千恵子)、満男(吉岡秀隆)、諏訪家親子水入らず何気ない会話の中での、満男による寅次郎(渥美清)の人物評とも言えるセリフです。サラリーマンなど一般的な日本の社会人に必要とされる作法やしきたり、決まり事、そしてどうしようもなく生じる虚栄心のようなものが、まだ少年である満男の眼には、とても窮屈で不毛に思えており、そこから完全に自由かつ無縁に生きる寅次郎に対し、ある種の憧れを抱き始めていました。母のさくらが、寅次郎を尊敬しているのかと問うと、そこまでではないとはぐらかす満男ですが、このあと彼が煩悶しながらも少年から青年へと成長してゆく過程で、寅次郎という存在や生き方に度々助けられ、励まされ、一つの大きな指標となって行くのです。

その他のちょっと良いセリフ

好きなことがあるのはいいことなんじゃないかな

「私がモテてどうすんだ」より

"ヲタクを隠そうとした花依(山口乃々華)に、六見先輩(吉野北人)がかけた言葉。
人目を気にするのではなく、自分の「好き」を大切にしていいんだ…と背中を押された観客も多かったのでは!?"

自分をいじめることはねぇ
てめぇでてめぇを大事にしなくて
誰が大事にするもんか

「異人たちとの夏」より

幼いころ交通事故で死別した父・英吉(片岡鶴太郎)、母・房子(秋吉久美子)と約30年ぶりに“再会”を果たした原田英雄(風間杜夫)は、テレビドラマの人気脚本家として活躍中であることを褒められるも過度に謙遜し、そのうえ、自分がよき夫、よき父親ではなかったせいで離婚し、妻子と別れるに至ったことを、自責の思いとともに自虐的に話した。そんな自信喪失気味な英雄に、父・英吉がかけた、江戸っ子らしい威勢の中に温もりと父の愛がこめられた言葉。この言葉を胸に、(少なくともたまには)自分を褒め、心身ともに気遣い、日常と人生を頑張って生きたいものです。

泣くがいいさ 腹いっぱい泣くがいいさ。

「男はつらいよ(第1作)」より

妹さくら(倍賞千恵子)に恋する隣の印刷工・博(前田吟)より、さくらへのプロポーズを託されたが、博にさくらを諦めさせるために、さくらには全くその気が無いと博に嘘を伝える寅次郎(渥美清)。この世の終わりとばかりに意気消沈し悲嘆に暮れる博に寅次郎がかけた、慰めの言葉。しかし物語の終盤、この言葉が皮肉なことにそっくりそのまま自分自身への慰めになるような大失恋が寅次郎を襲うのだった…。

寂しさなんてのはなぁ、歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ。

「男はつらいよ 寅次郎の告白(第44作)」より

家出した泉(後藤久美子)と泉を鳥取まで追いかけてきた満男(吉岡秀隆)を見送る時、満男に「おじさんは寂しくなる時はないの?」と聞かれて答えるセリフ。フーテン生活を送る寅さんが寂しさをどうやり過ごしてきたのかを想像させる、深いセリフです。

君の気持ちもわかるよ。わかりすぎるほどよくわかるよ。
だがね、それもいっときの感情だよ。
明日になれば気持ちも変わるさ。何もかも忘れてしまうよ。

「秋津温泉」より

死に直面し、自ら死を望んでいた男(長門裕之)。彼を献身的に支え、はつらつとした精気を与え続け、生きる希望を植え付けた女(岡田茉莉子)。秋津温泉での二人の出会いは、間違いなく運命的でした。再生を果たした男は、女を愛し、また女も男を愛しました。女が男に注ぎ込んだ生きる力は、男の中で色気となり、女を魅了したのです。
しかし、男が愛したのは女だけではありませんでした。男は結婚しました。糟糠の妻との間に子を持ち、東京に暮らす男。そして数年に一度秋津温泉に現れ、都合よく自分を抱いて去ってゆく男に翻弄される女。気づくと十七年もの月日が経っていました。皮肉なことに出会った時とは反対に、女が死を望むようになっていたのです。それは男への愛の不毛に消耗し絶望したからです。
このセリフは、そんな女に男が去り際に放った、ある意味無責任と軽薄の極致とも言える放言です。他ならぬ男自らが弱らせ絶望させ、そのせいでこれから死のうとしている女に対しての去り際の言葉としては、了見を疑わざるを得ません。いや、この言葉以前に、死のうとしている女の前から去るという行動が衝撃的ですらあります。
ただ、そういった背景と文脈から切り離された、この物語とは無関係な、純粋な慰めと励ましの発言としてならば、これは過不足なく機能的な言葉かもしれません。

そりゃ今は悲しいだろうけどさ。月日がたちゃどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってのは、本当にいい事だな。

「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎(第27作)」より

幼いころ生き別れになった最愛の弟を、ひょんなことで出会った寅次郎(渥美清)と共に探す芸者の浜田ふみ(松坂慶子)だが、弟は病死していた。悲嘆に暮れながらも、弟の婚約者の、結婚を前に相手を亡くした悲しみを思い遣るふみ。そんなふみに、自分は頭が悪いからすぐに色々な事を忘れると卑下しながらも、寅次郎がかけた、慰めでもあり励ましでもある言葉。忘れるという事は人生の知恵でもある、とも聞こえる。

命というものがたった一つでないのなら…我々はなんのために必死になって生きているのですか

「CASSHERN」より

終始描かれるおぞましい光景の中で、切実に命の尊さを訴えかける場面。重みと気迫に圧倒される…!

あの…そっちへ行っていい?

「旅の重さ」より

父親を知らない16歳の少女(高橋洋子)は、男にだらしがない絵描きの母親(岸田今日子)に辟易し、家出を決行、独り行くあてのない旅を始めます。しかし、旅の途上でさまざまな出会いや別れを経験しつつも、ついに栄養失調で行き倒れてしまいました。
そんな少女を拾って看病したのは、独り身の行商を営む朴訥とした木村(高橋悦史)という男でした。木村による看病の甲斐あって回復した少女は、看病してくれたことへの恩返しをすべく、木村の家に居付き、二人で暮し始めます。父親ほどに歳の離れた、無口で言葉少なく多くを語らない男の世話をして暮らす中で、つい木村に、知らずに育った父親の姿を夢想、父性への憧憬を投影してしまいます。
このセリフは、少女が、知らずに育った父性を、父の温もりを希求するあまり、隣りに敷いた布団で寝ている木村に、同じ布団で一緒に寝たいと、勇気を出して口にしてみた、ある種愛の告白にも似た言葉です。ちなみにもし筆者(中年男性)が言われたら、どう返答するか想像がつきませんが、少なくともドキドキゾクゾクするに違いありません。
そもそも母親の、母性よりもあまりに「女」の部分が強すぎる姿、それに翻弄される生活を嫌っての家出の旅、少女が父性を強く求めるのは当然の帰結でしょう。そして、そんな少女の懇願に男は戸惑い、困惑、狼狽するも、その一方で、今まさに少女から大人の女へと成長する過程の真っ只中にある、少女の肉体の眩しくも瑞々しい魅力に、やがて男が「異性」すなわち「女」を感じ始めるのも時間の問題でした。これも当然の帰結でしょう。

“真実”と言うと聞こえがよすぎるかもしれませんが、
我々が求めているのは、それです。

10のうちひとつぐらいは真実かもしれません。
それを探し当てるのは、結構面白い作業ですよ。

「クリーピー 偽りの隣人」より

元警視庁捜査一課の刑事で庁内随一の犯罪心理学のエキスパートである高倉(西島秀俊)は、ある事件で自らの知識や経験を過信したがゆえに起こしてしまった失態により退職、大学で教鞭を執っていた。
しかし、元刑事の性(さが)が再び頭をもたげた高倉は、後輩の刑事・野上(東出昌大)に乞われ、未解決一家失踪事件の謎を究明すべく、事件唯一の生き残りである長女・早紀(川口春奈)の記憶をたどり事件の核心に迫ろうとしていた。
そのさなか、記憶が曖昧でかたくなに心を閉ざす早紀に対し、高倉が協力の懇願として口にしたセリフ。

言わば職業的な紋切り型と言ってもいい口説き文句ですが、“真実”の一義的な価値をシンプルに言い表しています。
ただし世の中で“真実”は、取り扱い要注意でもあります。むやみやたらと追い求めたり扱ったりすべきではないとすら言えるほどに、悪しき作用を及ぼすことも大いにあり得ます。
そして、時としてとんでもなく恐ろしい闇が潜む場合があり、まさに高倉たちはその闇に飲み込まれ、翻弄されて行くのです…

お前もいずれ、恋をするんだなぁ。あぁ、可哀想に。

「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋(第29作)」より

丹後から帰ってきた寅次郎は、珍しく憔悴し寝込んでいた。というのも、旅先で出会った、美しい未亡人かがり(いしだあゆみ)に恋し惚れ込んでしまっていたからだ。なおかつ、なんと今回はかがりの側も寅次郎に思いを寄せていた…。そんな稀にみる事態に憔悴し寝込んでいた寅次郎が、気づいたら少年に育っていた妹さくら(倍賞千恵子)の息子・満男(吉岡秀隆)に向けた言葉。一方的なものばかりとはいえ、恋というものに内在する悲喜交々の、特に悲しみ、すなわち失恋を何度も味わってきた寅次郎だからこその、これから青年となる満男の将来をを案じたつぶやき。

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