その他のちょっと良いセリフ
いろんなことがあって
だんだんほんとうの夫婦になるんだよ

「早春 」より
数年前に幼い息子を病気で亡くして以来、倦怠期を迎えていたサラリーマンの正二(池辺良)と昌子(淡島千景)の夫婦は、正二が女友達・キンギョこと千代(岸恵子)の積極的な誘惑に負け、犯してしまった一晩の過ちが発覚し、夫婦関係の危機を迎えていました。最初はとぼけて煙に巻く正二でしたが、怒りのあまり家を出たきり戻らない昌子の強硬な姿勢に、焦りと反省、贖罪の気持ちで心がいっぱいになります。そんな中、東京から遠く岡山の山間地へと転勤を命じられていた正二の引っ越しの日が近づきます。結局引っ越し当日になっても昌子は戻らず、独りさびしく旅立った正二は、旅の途中、転勤で琵琶湖畔に住まう会社の先輩・小野寺(笠智衆)を訪ねます。
このセリフは、正二と昌子の結婚の仲人を務め、ふたりをよく知る小野寺が、正二にしみじみと、噛んで含めるように言った一言です。悪行は、開き直ったり、ましてや繰り返すなど論外です。素直に謝り、猛省すること。諍いの火種はまだ小さいうちに、取り返しのつくうちに歩み寄って消すこと。それでも色んな摩擦が起きるかもしれないし、負った心の傷は消えないかもしれないが、それを乗り越えることが夫婦をより強靭な関係に導いてくれること。負った心の傷は、完全には消えません。ただ、それでも心から謝り、誠意を示すこと。また可能な限り許そうと努力すること。そうして至った再生が、夫婦愛の成熟したかたちなのではないか?人生の先輩の含蓄が、味わい深く心に沁みます。
先生からは1点だけ、幸せになってください
あの…そっちへ行っていい?

「旅の重さ」より
父親を知らない16歳の少女(高橋洋子)は、男にだらしがない絵描きの母親(岸田今日子)に辟易し、家出を決行、独り行くあてのない旅を始めます。しかし、旅の途上でさまざまな出会いや別れを経験しつつも、ついに栄養失調で行き倒れてしまいました。
そんな少女を拾って看病したのは、独り身の行商を営む朴訥とした木村(高橋悦史)という男でした。木村による看病の甲斐あって回復した少女は、看病してくれたことへの恩返しをすべく、木村の家に居付き、二人で暮し始めます。父親ほどに歳の離れた、無口で言葉少なく多くを語らない男の世話をして暮らす中で、つい木村に、知らずに育った父親の姿を夢想、父性への憧憬を投影してしまいます。
このセリフは、少女が、知らずに育った父性を、父の温もりを希求するあまり、隣りに敷いた布団で寝ている木村に、同じ布団で一緒に寝たいと、勇気を出して口にしてみた、ある種愛の告白にも似た言葉です。ちなみにもし筆者(中年男性)が言われたら、どう返答するか想像がつきませんが、少なくともドキドキゾクゾクするに違いありません。
そもそも母親の、母性よりもあまりに「女」の部分が強すぎる姿、それに翻弄される生活を嫌っての家出の旅、少女が父性を強く求めるのは当然の帰結でしょう。そして、そんな少女の懇願に男は戸惑い、困惑、狼狽するも、その一方で、今まさに少女から大人の女へと成長する過程の真っ只中にある、少女の肉体の眩しくも瑞々しい魅力に、やがて男が「異性」すなわち「女」を感じ始めるのも時間の問題でした。これも当然の帰結でしょう。
そりゃ今は悲しいだろうけどさ。月日がたちゃどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってのは、本当にいい事だな。
ママも大変ですね

「黒革の手帖」より
銀行員の原口元子(山本陽子)は、勤め先の銀行に複数もの架空名義の裏金口座の存在を突き止め、それをネタに上層部から口止め料として大金をせしめた後に退職、銀座でホステスの修行を経て自分のクラブ「カルネ」をオープン、オーナーママとなっていた。やがて、架空名義預金者の一人・楢林(三國連太郎)をカルネの客にし、色仕掛けで篭絡、架空名義預金をネタに脅して再び大金をせしめることに成功する。
ところが、ある日、かつて元子がカルネで雇っていた若手のホステスで、独立して自分の店を持つためにカルネを辞めていった波子(萬田久子)が乗り込んで来た。波子は楢林の愛人で、贅沢三昧の放蕩生活を送るばかりか、楢林の架空名義預金を投じた資金援助により、カルネと同じビルの上層階に全てにおいてカルネの上をゆく自分の店を持つ算段だったのだが、元子に大金をせしめられた楢林は余裕が無くなり、波子への援助を打ち切ったのだった。
パトロンを元子に奪われたかたちの波子は怒髪天を衝く勢いで元子を口汚く罵った挙句に掴みかかる。一方の元子も黙っておらず、暴力には暴力で応戦、銀座の女同士の喧嘩は泥仕合の様相を呈する。なんとか周りの制止で収まった騒動だが、間の悪いことに、その一部始終を、元子がほのかな想いを寄せる相手である、出馬を前にした政治家の卵でカルネの新しい常連客になりつつあった安島富夫(田村正和)が見ていた。
このセリフは、女同士の喧嘩が終わったばかりの、傷つき乱れた元子に安島がかけた言葉。他人行儀で表面的な社交辞令に過ぎない、軽く薄っぺらい言葉だが、それはこの場にあって多くの言葉を費やすのは元子にとっても気まずいだろうとの配慮があってのこと(→筆者の勝手な憶測)、この数日後、落ち着きをみせた元子に対して余りにも正論すぎてぐうの音も出ないような、それでいて元子を優しく包み込むフォローの言葉があった。まさに、男も惚れるモテ男。それは、どんな言葉だったのか、本編で確かめるべし。
女抜きで引っ越しができるとお思いですか?

「引っ越し大名!」より
藩の存亡を懸け、姫路(兵庫)から日田(大分)へ、移動人数10,000人、距離600Km、予算なし・・・という過酷な国替え=引っ越しの仕切り役「引っ越し奉行」を仰せつかった、ふだんは書庫にこもって本を読んでばかりの引きこもり侍・片桐春之介(星野源)。
柄に合わない任務と前途多難におののく春之介は、幼馴染で武芸の達人・鷹村源右衛門(高橋一生)や前任の引っ越し奉行の娘である於蘭(高畑充希)に助けられ、知恵と工夫なしではまず成し遂げられない一大事業=引っ越しに臨みます。
これは目の前の、そしてこれから間違いなく降りかかって来るであろう無理難題の数々に怖気づく春之介たちに向けた、於蘭によるこのうえなく頼もしく力強いセリフです。自信、そして前任の引っ越し奉行の娘であることの強い自負心に満ちた威勢のいいひと言は、春之介たちを見事に鼓舞したのでした。
…ちなみに余談ながらも、筆者個人的に、過去に経験した幾度かの引っ越し全てにおいて、間違いなく母や妻が居たればこそテキパキと合理的に事が進んだと、心の底からの感謝と共に、強くそう思っております。
いいか人間誰しも欠点というものがあるんだよ。
来てしもうたがです。諦めてばっかりおるがは、嫌です。
あて、いっぺんぐらい、あての思う通りにしたかったがです。

「薄化粧」より
妻とまだ幼い息子を含む四人の殺人容疑で収監されていたが脱獄、指名手配中の坂根藤吉(緒形拳)は、逃亡先で小さな飲み屋を営むちえ(藤真利子)と出会う。別の女を作った夫に捨てられた経験により、愛し愛されるということを諦めていたちえは、坂根と交流するうちに、いつしか惹かれていたのだった。一方、欲望と獣性の赴くままに犯罪を犯し続けてきた坂根にとって、ちえは初めて会った菩薩のような女だった。しかし、坂根の逮捕に執念を燃やす刑事・真壁(川谷拓三)の追跡が間近に迫っていることを悟った坂根は、ちえの元から去ろうとする。このセリフは、そんな坂根を駅まで追いかけて着たちえによるものです。すべてを投げ捨ててまで、愛する男にすがろうとするちえの、愛を、幸せを、人生を諦めたくない心の叫びでした。しかし、真壁が坂根を追い詰める決定的な手掛かりとなったのは、皮肉なことに、他ならぬちえという存在だったのです…。
好きなことがあるのはいいことなんじゃないかな
自分の感情というものが、無いの?

「古都」より
京呉服問屋の一人娘として何不自由なく育てられた千重子(岩下志麻)は、両親から自分が本当の娘ではない(両親が自分の本当の親ではない)事を知らされていました。しかし、育ての親との仲は、千重子がその事実を知ったとて、変わらずに睦まじいものでした。それぐらいに親子の絆は太く強く、なにより、育ての両親は本当の子供ではない千重子を何不自由なく育てていたのでした。
その一方で、大学に進みたいという千重子の希望を、それなら家の商売を実地で身に着けるべしと却下。結婚についても、商家の独り娘なればこそ嫁に出すことはできない、と言います。そして、自分の人生の大きな選択に、ことごとく介入どころか初めから決めてしまっている親に対して、異を唱えずに従う千重子。それは、本当の子供ではないのに何不自由なく育ててくれた恩を感じているからなのでしょうか?それとも何かべつの理由があるのでしょうか?
このセリフは、そんな千重子を不思議がったのか、あるいは不憫に思ったのか、気の置けない友人でもあるボーイフレンドから発せられた、素朴な疑問でした。そして、どうやら千重子は、ただ単に恩人であるからと言って両親に穏健なる服従を誓っているだけではなく、そこにはやや複雑な思慮と心情が、一種の「ミステリアスな謎」としてありそうなのです。
名匠・田中登監督による、川端康成の原作小説を映画化し、米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたこの名作では、日本が世界に誇る古都・京都の歴史ある風光明媚な名所の数々を舞台に、その美しい四季折々を背景に、生き別れになった二人の姉妹の運命と心の機微を繊細に描きつつ、その「ミステリアスな謎」が紐解かれます。




