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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

寂しさなんてのはなぁ、歩いてるうちに風が吹き飛ばしてくれらぁ。

「男はつらいよ 寅次郎の告白(第44作)」より

家出した泉(後藤久美子)と泉を鳥取まで追いかけてきた満男(吉岡秀隆)を見送る時、満男に「おじさんは寂しくなる時はないの?」と聞かれて答えるセリフ。フーテン生活を送る寅さんが寂しさをどうやり過ごしてきたのかを想像させる、深いセリフです。

その他のちょっと良いセリフ

幽霊よりも、人間のほうが恐いってことです。

「さんかく窓の外側は夜」より

幼い頃から幽霊が見える特異体質に悩まされている書店員・三角康介(志尊順)は、除霊師・冷川理人(岡田将生)と出会い、共に除霊作業の仕事をすることになった。ある日、ふたりは刑事・半澤(滝藤賢一)から、未解決殺人事件の捜査協力を持ちかけられる。それは、想像を絶する、常軌を逸した、怨念渦巻く阿鼻叫喚地獄の始まりだった。真相に迫ってゆくなか、康介が恐怖、そして諦念めいた感情とともに呟いたセリフ。それは、悪意や殺意といった確実な強い意思を持ち狂気を宿すのは、幽霊でも何でもなく、自分たち人間だという恐怖。いちばん恐いのは人間。あらゆる事象に通じる真理なのかもしれません。

「私を殺してでも行きたい?」「行きたい」「じゃいいわ。殺してちょうだい」

「釣りバカ日誌イレブン(第13作)」より

会社を休んで釣りに行きたいが、有休を使い果たし、身内の不幸の口実もすべて使い切ってしまったハマちゃん。残るはみち子さんくらいしかいなくなってしまった…と悩むハマちゃんに、みち子さんがかけた言葉。みち子さんの懐の深さが伝わってきます。

おてんとうさまは見ているぜ

「男はつらいよ 寅次郎忘れな草(第11作)」より

映画の冒頭、寅次郎が居眠り中に見ている夢。悪政のせいで陰でこそこそ弱い者いじめが横行する荒廃した世の中。無法者たちに理不尽にも金品をせしめられている貧しい親子(倍賞千恵子、前田吟、松村達雄)を、颯爽と現れ救った、寅次郎という名のさすらいの風来坊(渥美清)が、去り際に放った捨てゼリフ。幾ら世が荒れても、陰でこそこそ悪いことはできないよ、必ず誰かが見ているよ、という強いメッセージです。

好きなことがあるのはいいことなんじゃないかな

「私がモテてどうすんだ」より

"ヲタクを隠そうとした花依(山口乃々華)に、六見先輩(吉野北人)がかけた言葉。
人目を気にするのではなく、自分の「好き」を大切にしていいんだ…と背中を押された観客も多かったのでは!?"

“世間”って誰?どこの誰のこと?
そんな顔も見えない人たちのことなんてどうでもいい
私は自分の物差しで生きるの

「人間失格 太宰治と3人の女たち」より

妻子ある新進気鋭の小説家・太宰治(小栗旬)との不倫の挙句に子を身ごもった太田静子(沢尻エリカ)による、世間体を前面に押し出して不倫を非難・叱責する弟(千葉雄大)に対しての開き直った反論でもあり、自分の信条や生き方の肯定でもあるセリフ。
たった一度きりの人生、たとえ後ろ指さされようとも自分の感覚を信じて好きなように生きる、そんな高らかな自由の宣言です。
静子自身、太宰と同業の若き作家。創作に取り憑かれ優れた表現欲を持つ者が、活動の源泉として半ば代償のように常識と引き換えに背負わされる、ある種の反社会性や非道徳性。その是非はともかく、そこに恐ろしい魔力(魅力)があることは確かです。

いいか人間誰しも欠点というものがあるんだよ。

「男はつらいよ 幸福の青い鳥(第37作)」より

かつて世話になった旅役者一座の座長の忘れ形見・美保(志穂美悦子)の世話をすることになった寅次郎(渥美清)だが、まるで娘のように美保の将来を案じる気持ちが行き過ぎて、つい妄想に浸る。その妄想の中で、幸福をつかんだ美穂が旦那のことをまじめ過ぎてつまらないと愚痴った際に諭した言葉。世の大多数の人間が救われるであろう言葉。

無くなウミガメ 明日があんで
明日できることは今日せんでもいいけどな
ボチボチ行け

「岸和田少年愚連隊」より

1975年、大阪・岸和田。中学生のチュンバ(矢部浩之)と小鉄(岡村隆史)は、喧嘩に明け暮れる札付きのワルたち。仲間のサイ(宮迫博之)、アキラ(宮川大輔)らと共に、敵対するアンドウ(吉田敬)、ゴリ(原西孝幸)、ゴリの連れ(藤本敏史)、ゴリの兄(山本太郎)らと、殴る蹴るのみならず、バット、鉄パイプ、石、鉄板など武器は何でもアリの熾烈な抗争を繰り広げていました。
そんなヤクザ顔負けの日々の中、ある夜、瀕死の重傷を負い、ほうほうのていで帰宅したチュンバに、TV番組「野生の王国」のウミガメが泣きながら命がけで産卵する姿を見ながら、オトン(石倉三郎)がかけた言葉。
こてんぱんにやられる時もある。そんな夜はじっと耐えて体を休め、ケガを癒し、気持ちを切り替えて、明日(以降で)やり返せ!
そんな父の激励がこめられたセリフです。やられたらやり返すということ自体の是非はともかく、思うように上手くいかない時も、納得いかない時も、へこたれずに強くたくましく育って欲しい親心がにじみ出ております。そのようにして、昭和の岸和田の少年たちは、大人たちから時に厳しく時に温かく怒られ助けられ、愛され笑われ、タフでハードな日々を過ごし、大人になっていくのでした。
それにしても…井筒和幸監督による、セピア色のノスタルジーと血沸き肉躍る生々しいバイオレンスアクションがあふれる青春グラフィティーの本作、本稿冒頭でも何名か列挙しましたが綺羅星のごとき超豪華キャストです。

今、幸せかい?

「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(第13作)」より

陶芸家と幸せな結婚をしたはずの歌子(吉永小百合)は夫に先立たれ姑の元で肩身の狭い思いをして暮らしていた。「もし何かあったら、葛飾柴又のとらやを訪ねてきな。悪いようにはしないから」と声をかける寅さん。本当はそばで助けてあげたい気持ちを抑えた、短いけれど優しさあふれるセリフです。

自分の感情というものが、無いの?

「古都」より

京呉服問屋の一人娘として何不自由なく育てられた千重子(岩下志麻)は、両親から自分が本当の娘ではない(両親が自分の本当の親ではない)事を知らされていました。しかし、育ての親との仲は、千重子がその事実を知ったとて、変わらずに睦まじいものでした。それぐらいに親子の絆は太く強く、なにより、育ての両親は本当の子供ではない千重子を何不自由なく育てていたのでした。
その一方で、大学に進みたいという千重子の希望を、それなら家の商売を実地で身に着けるべしと却下。結婚についても、商家の独り娘なればこそ嫁に出すことはできない、と言います。そして、自分の人生の大きな選択に、ことごとく介入どころか初めから決めてしまっている親に対して、異を唱えずに従う千重子。それは、本当の子供ではないのに何不自由なく育ててくれた恩を感じているからなのでしょうか?それとも何かべつの理由があるのでしょうか?
このセリフは、そんな千重子を不思議がったのか、あるいは不憫に思ったのか、気の置けない友人でもあるボーイフレンドから発せられた、素朴な疑問でした。そして、どうやら千重子は、ただ単に恩人であるからと言って両親に穏健なる服従を誓っているだけではなく、そこにはやや複雑な思慮と心情が、一種の「ミステリアスな謎」としてありそうなのです。
名匠・田中登監督による、川端康成の原作小説を映画化し、米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたこの名作では、日本が世界に誇る古都・京都の歴史ある風光明媚な名所の数々を舞台に、その美しい四季折々を背景に、生き別れになった二人の姉妹の運命と心の機微を繊細に描きつつ、その「ミステリアスな謎」が紐解かれます。

どこにいたって、愛がありゃあ、天国なんじゃないの?そういうもんだよ。

「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(第33作)」より

寅次郎(渥美清)旅先の宿で相部屋となったのは、男を作って逃げた女房を東京から遥々連れ戻しに北海道の根室までやってきたサラリーマン・福田栄作(佐藤B作)。本来は賑やかな都会が好きな性格の女房がこんな人里離れたド田舎で幸せに暮らしてるのかと訝しむ男に、寅次郎が言ったひと言。幸せに場所は関係ない。旅また旅で根無し草の人生を送ってきた寅次郎ならではの発言とも言える。

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