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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

事件はきわめて難しい状況に直面し、連日の皆さんのご苦労にもかかわらず、遅々として捗りません。

「砂の器」より

殺人事件の被害者の身許が不明、殺される直前に誰かと会っていたことが判明したが、その人物も不明。そのふたりの会話のなかで交わされていた謎の言葉も、それが何を指すのか全くもって不明。
あらゆることが謎のまま捜査は難航どころか迷宮入りがちらつくほど暗礁に乗り上げていました。そんな八方塞がりの状況下、真夏のうだるような暑さのなか開かれた捜査会議で、とあるベテラン刑事が発した苦渋の言葉。
それは捜査陣にとっての目の前の現実を過不足なく客観的に表した発言であると同時に、この事件がいかに難解であるか、解決までの道のりが果てしなく遠く険しいことを想起させます。
しかし、知恵と気力体力を振り絞った不撓不屈の捜査の果てに、物語は衝撃と戦慄の真実へと至り、その核心は、人間の業と宿命の深淵へと導かれるのです。

その他のちょっと良いセリフ

どこにいたって、愛がありゃあ、天国なんじゃないの?そういうもんだよ。

「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(第33作)」より

寅次郎(渥美清)旅先の宿で相部屋となったのは、男を作って逃げた女房を東京から遥々連れ戻しに北海道の根室までやってきたサラリーマン・福田栄作(佐藤B作)。本来は賑やかな都会が好きな性格の女房がこんな人里離れたド田舎で幸せに暮らしてるのかと訝しむ男に、寅次郎が言ったひと言。幸せに場所は関係ない。旅また旅で根無し草の人生を送ってきた寅次郎ならではの発言とも言える。

今度あの子に会ったら、こんな話しよう、あんな話もしよう、そう思ってね、家出るんだ。いざその子の前に座ると、ぜんぶ忘れちゃうんだね。

「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎(第30作)」より

自分と一緒にデートしていても、いつも寡黙で無口になってしまう三郎(沢田研二)が、何考えてるかわからない、ふたりの間に生まれる沈黙がつらい、と迷い悩む蛍子(田中裕子)を、寅次郎が諭した言葉。好きな人を前にして黙りこくる、そんな自分が情けなく泣きたくなる、まさに恋する男心を優しいまなざしで言い表した、寅次郎らしい表現。

命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。

「大名倒産」より

家族とお国を守るために、分かっていながらも権力者の命に逆らえず罪を犯したことへの贖罪として自死を選ぼうとした実直な侍を、ぎりぎりのところで踏みとどまらせた小四郎(神木隆之介)のセリフ。
自ら選ぶ死はいかなる理由があれど、余程の特殊な場合を除き、決して本当の意味での贖罪にはなり得ません。それで満足するのは残念ながら死にゆく当人のみです。つまり単なる自己満足なのです。
ならば、その命を絶たず、家族のために、世話や恩や受けた誰かのために使う、それが生を受けた者の使命であり、生きる意味です。
思い詰めた時だけでなく、日々復唱したいほどの金言です。

君が必要か必要でないかは社長である私が決めることなんだ。君がどんなにダメな社員であったとしても、ひょっとして必要な場合があるかもしれないでしょう。

「釣りバカ日誌7(第8作)」より

自分は会社にとって必要ではないから辞職したいと申し出たハマちゃんに、社長のスーさんが放ったセリフ。経営者はこんな視点が必要ですね。

そのうち良いことあるから、な

「男はつらいよ 寅次郎春の夢(第24作)」より

新市場開拓にアメリカから日本にやってきたビタミン剤のセールスマン、マイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)は、日本での飛び込み営業がことごとく上手く行かず、宿代にも事欠く窮状だったが、ひょんなことからとらやに下宿することに。一方で、常日頃からアメリカぎらいを露悪的に公言していた寅次郎(渥美清)だが、素朴で真っ直ぐな人柄のマイケルと過ごすうちに、いつしか友情が育まれていった。結局日本での商売は何一つ上手く行かず失意と自信喪失のうち母の待つアメリカに帰国することになったマイケルとの別れ際に寅次郎が贈った言葉。失敗や不運が続いても、くよくよせず気持ちを切り替え前向きに生きて行く寅次郎の生き方を象徴したセリフであり、弱った友人を励ます、温かくも力強いエールです。

春になっとね 見渡す限り緑になって 花がいっぱい咲いて
牛がモリモリ草を食べて 乳ばドンドン出して
そん時になっと 住んどる人間もこん広か土地と 一緒に生き返ったような気がして
そん時は誰でも ああ 今年こそは何かよかことのありそうなって そう思うって
ねぇ父ちゃん そん時ば楽しみにせんば ね

「家族」より

九州は長崎県の南端に伊王島で生まれ育ち、炭鉱で働き細々と暮らす風見精一(井川比佐志)・民子(倍賞千恵子)夫婦は、炭鉱が閉山し失職、生活の糧を得るために遠く北海道は中標津の開拓村に移住し、酪農業を営むことを決断しました。
老いた父(笠智衆)と幼ない二人の子供を連れ、住みなれた島への愛惜と、前途への不安をおしての辛い旅立ちでしたが、長崎から博多、福山、万国博で賑わう大阪、東京、東北の寒村を経て北海道の玄関口・函館から東の果て根釧原野の開拓村まで日本列島縦断3000キロの長旅は、想像を遥かに絶する過酷な道行となってしまいました。
わずか数日の間に、幼い愛娘と老いた父親を失い、5人が3人となってしまった家族。夫婦は憔悴し、悲しみと絶望、そして北海道の過酷な冬の厳しさと未知の酪農にうちひしがれます。そして、生活のためとはいえ、この決断をくだしたせいで家族の二人の命を失うことになった自分を責め立てる精一。
このセリフは、そんな夫に対して、自分も同じぐらい悲しみの淵に追い込まれていながらも、妻がかけた励ましの言葉です。あまりに辛く厳しい出来事に見舞われても、それを耐え忍べば必ず運命は好転する。やがて冬は終わり、あらゆる生命力があふれる、美しくも力強い春がやって来る。人生の様々な苦境を前にした際に、胸にしたい言葉です。

あの…そっちへ行っていい?

「旅の重さ」より

父親を知らない16歳の少女(高橋洋子)は、男にだらしがない絵描きの母親(岸田今日子)に辟易し、家出を決行、独り行くあてのない旅を始めます。しかし、旅の途上でさまざまな出会いや別れを経験しつつも、ついに栄養失調で行き倒れてしまいました。
そんな少女を拾って看病したのは、独り身の行商を営む朴訥とした木村(高橋悦史)という男でした。木村による看病の甲斐あって回復した少女は、看病してくれたことへの恩返しをすべく、木村の家に居付き、二人で暮し始めます。父親ほどに歳の離れた、無口で言葉少なく多くを語らない男の世話をして暮らす中で、つい木村に、知らずに育った父親の姿を夢想、父性への憧憬を投影してしまいます。
このセリフは、少女が、知らずに育った父性を、父の温もりを希求するあまり、隣りに敷いた布団で寝ている木村に、同じ布団で一緒に寝たいと、勇気を出して口にしてみた、ある種愛の告白にも似た言葉です。ちなみにもし筆者(中年男性)が言われたら、どう返答するか想像がつきませんが、少なくともドキドキゾクゾクするに違いありません。
そもそも母親の、母性よりもあまりに「女」の部分が強すぎる姿、それに翻弄される生活を嫌っての家出の旅、少女が父性を強く求めるのは当然の帰結でしょう。そして、そんな少女の懇願に男は戸惑い、困惑、狼狽するも、その一方で、今まさに少女から大人の女へと成長する過程の真っ只中にある、少女の肉体の眩しくも瑞々しい魅力に、やがて男が「異性」すなわち「女」を感じ始めるのも時間の問題でした。これも当然の帰結でしょう。

いつも言ってるでしょ。そういう難しいソクラテスみたいな顔してたら魚は寄ってこないんだって。柔らかく柔らかく待ってないと。

「釣りバカ日誌10(第11作)」より

何と会社を辞めてしまったスーさん。ビル管理会社にシニア社員として働くが、そこで知り合った若者(金子賢)とその恋人(宝生舞)の結婚式のために北九州を訪れ、釣りを楽しむハマちゃんとスーさん。「人間の偉大なる行動力とは?」と哲学的な質問を問いかけるスーさんに、ハマちゃんが返すセリフ。

幸せは希望の向こう側にある。

「大怪獣のあとしまつ」より

人類を未曽有の恐怖に陥れた大怪獣が、ある日突然、死にました。国民は歓喜に沸き、政府は怪獣の死体に「希望」と名付け、国全体が安堵に浸ったのです。しかし、安堵も束の間、この巨大怪獣の死体が腐敗による体温上昇で徐々に膨張が進み、ガス爆発の危機が迫っていることが発覚します。大怪獣の死体が爆発し、漏れ出したガスによって周囲が汚染される事態になれば国民は混乱し、国家崩壊にもつながりかねません。そこで、絶望的な時間との闘いの中、国民の運命を懸けて死体処理という極秘ミッションを任されたのは首相直轄組織・特務隊の隊員である帯刀アラタ(山田涼介)でした。このセリフは、ほとんどインポッシブルなミッションに挑むアラタの、諦めない気持ちの力強い表明です。また、先般大怪獣が「希望」ネーミングされた事にも引っかけた、ウィットとユーモアの効いたナイス発言とも言えるでしょう。いかなる無理難題を前にし、どんなに過酷な難局にあっても、このような強い気持ちと余裕を持っていたいものです。

いろんなことがあって
だんだんほんとうの夫婦になるんだよ

「早春 」より

数年前に幼い息子を病気で亡くして以来、倦怠期を迎えていたサラリーマンの正二(池辺良)と昌子(淡島千景)の夫婦は、正二が女友達・キンギョこと千代(岸恵子)の積極的な誘惑に負け、犯してしまった一晩の過ちが発覚し、夫婦関係の危機を迎えていました。最初はとぼけて煙に巻く正二でしたが、怒りのあまり家を出たきり戻らない昌子の強硬な姿勢に、焦りと反省、贖罪の気持ちで心がいっぱいになります。そんな中、東京から遠く岡山の山間地へと転勤を命じられていた正二の引っ越しの日が近づきます。結局引っ越し当日になっても昌子は戻らず、独りさびしく旅立った正二は、旅の途中、転勤で琵琶湖畔に住まう会社の先輩・小野寺(笠智衆)を訪ねます。
このセリフは、正二と昌子の結婚の仲人を務め、ふたりをよく知る小野寺が、正二にしみじみと、噛んで含めるように言った一言です。悪行は、開き直ったり、ましてや繰り返すなど論外です。素直に謝り、猛省すること。諍いの火種はまだ小さいうちに、取り返しのつくうちに歩み寄って消すこと。それでも色んな摩擦が起きるかもしれないし、負った心の傷は消えないかもしれないが、それを乗り越えることが夫婦をより強靭な関係に導いてくれること。負った心の傷は、完全には消えません。ただ、それでも心から謝り、誠意を示すこと。また可能な限り許そうと努力すること。そうして至った再生が、夫婦愛の成熟したかたちなのではないか?人生の先輩の含蓄が、味わい深く心に沁みます。

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