松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。
世間にはね、したくなくてもする必要がある事がたくさんあんのよ

「乾いた湖」より
事業家だった父が政界汚職に巻き込まれ自殺、残されたのは母、姉、妹(岩下志麻)の女三人家族と巨額の税。
そんな三人の生活を支えているのは、姉が稼いでくるお金。では、姉はどうやって稼いでくるのか?どんな仕事をしているのか?
その答えは、愛人稼業でした。しかも、その相手は、父を自殺に追いやった悪徳政治家。
姉は父を殺した男の愛人になり、その愛人手当で残された三人が生活できていたのです。
そしてその首謀者は、なんと母でした。まだ嫁入り前の姉を、男に愛人として差し向けたのです。
そんな衝撃の事実を知り半狂乱で反発する妹に、母が諫めるように放った、あまりに現実的すぎる言葉がこの酷薄なセリフです。
もしかしたら、夫を自殺に追い込まれ実質的に殺されたことで、母の理性と思考のタガが外れてしまったのかもしれません。
ただ、残された三人がお金を稼いで生きて行かねばならない事は現実。母は強し。
その傍らには、ただただ涙ながらに妹に謝る姉の姿がありました。
その他のちょっと良いセリフ
俺にだって一生にいっぺんくらい役作りってやつをさせてください

「蒲田行進曲」より
新作『新選組』映画に沸く撮影所。うだつの上がらない大部屋俳優のヤス(平田満)は、心酔し敬愛するスター俳優・銀ちゃんこと倉岡銀四郎(風間杜夫)のため、そしてその銀ちゃんの身代わりに自分が結婚することになった、彼の子を身ごもる落ち目の女優・小夏(松坂慶子)のために、軽くて半身不随、最悪で死亡という危険きわまりない池田屋階段落ちのシーンで、銀ちゃん演じる土方歳三に斬られ高さ10メートルから転げ落ちる役を、自ら申し出ます。ふだんは役作りをする必要も無い、名も無き雑魚役を演じて日々を過ごす大部屋俳優にとって、この生死のかかった階段落ちは、一日だけスターになれる一世一代のひのき舞台。このセリフは、死の恐怖にさいなまれるヤスが、撮影直前に最後の覚悟をする時間をもらうために、自分以外の全員に向けた魂の願いでした。大部屋俳優でも俳優は俳優。命がけの大仕事を前に、その矜持と尊厳がほとばしる、静かに重厚なセリフです。
思い切ってなんでも言ったらいいさ、惚れてますとか、好きですとか。
ママも大変ですね

「黒革の手帖」より
銀行員の原口元子(山本陽子)は、勤め先の銀行に複数もの架空名義の裏金口座の存在を突き止め、それをネタに上層部から口止め料として大金をせしめた後に退職、銀座でホステスの修行を経て自分のクラブ「カルネ」をオープン、オーナーママとなっていた。やがて、架空名義預金者の一人・楢林(三國連太郎)をカルネの客にし、色仕掛けで篭絡、架空名義預金をネタに脅して再び大金をせしめることに成功する。
ところが、ある日、かつて元子がカルネで雇っていた若手のホステスで、独立して自分の店を持つためにカルネを辞めていった波子(萬田久子)が乗り込んで来た。波子は楢林の愛人で、贅沢三昧の放蕩生活を送るばかりか、楢林の架空名義預金を投じた資金援助により、カルネと同じビルの上層階に全てにおいてカルネの上をゆく自分の店を持つ算段だったのだが、元子に大金をせしめられた楢林は余裕が無くなり、波子への援助を打ち切ったのだった。
パトロンを元子に奪われたかたちの波子は怒髪天を衝く勢いで元子を口汚く罵った挙句に掴みかかる。一方の元子も黙っておらず、暴力には暴力で応戦、銀座の女同士の喧嘩は泥仕合の様相を呈する。なんとか周りの制止で収まった騒動だが、間の悪いことに、その一部始終を、元子がほのかな想いを寄せる相手である、出馬を前にした政治家の卵でカルネの新しい常連客になりつつあった安島富夫(田村正和)が見ていた。
このセリフは、女同士の喧嘩が終わったばかりの、傷つき乱れた元子に安島がかけた言葉。他人行儀で表面的な社交辞令に過ぎない、軽く薄っぺらい言葉だが、それはこの場にあって多くの言葉を費やすのは元子にとっても気まずいだろうとの配慮があってのこと(→筆者の勝手な憶測)、この数日後、落ち着きをみせた元子に対して余りにも正論すぎてぐうの音も出ないような、それでいて元子を優しく包み込むフォローの言葉があった。まさに、男も惚れるモテ男。それは、どんな言葉だったのか、本編で確かめるべし。
ある年齢に達したら、一切仕事から離れて、鮭のように故郷に帰って暮らしたい。かねがね私はそう考えて参りました。
いろんなことがあって
だんだんほんとうの夫婦になるんだよ

「早春 」より
数年前に幼い息子を病気で亡くして以来、倦怠期を迎えていたサラリーマンの正二(池辺良)と昌子(淡島千景)の夫婦は、正二が女友達・キンギョこと千代(岸恵子)の積極的な誘惑に負け、犯してしまった一晩の過ちが発覚し、夫婦関係の危機を迎えていました。最初はとぼけて煙に巻く正二でしたが、怒りのあまり家を出たきり戻らない昌子の強硬な姿勢に、焦りと反省、贖罪の気持ちで心がいっぱいになります。そんな中、東京から遠く岡山の山間地へと転勤を命じられていた正二の引っ越しの日が近づきます。結局引っ越し当日になっても昌子は戻らず、独りさびしく旅立った正二は、旅の途中、転勤で琵琶湖畔に住まう会社の先輩・小野寺(笠智衆)を訪ねます。
このセリフは、正二と昌子の結婚の仲人を務め、ふたりをよく知る小野寺が、正二にしみじみと、噛んで含めるように言った一言です。悪行は、開き直ったり、ましてや繰り返すなど論外です。素直に謝り、猛省すること。諍いの火種はまだ小さいうちに、取り返しのつくうちに歩み寄って消すこと。それでも色んな摩擦が起きるかもしれないし、負った心の傷は消えないかもしれないが、それを乗り越えることが夫婦をより強靭な関係に導いてくれること。負った心の傷は、完全には消えません。ただ、それでも心から謝り、誠意を示すこと。また可能な限り許そうと努力すること。そうして至った再生が、夫婦愛の成熟したかたちなのではないか?人生の先輩の含蓄が、味わい深く心に沁みます。
女ってね、別れるとき男が自分のために傷ついてたらバンザイなんだよ。

「時代屋の女房」より
35歳気ままな独身の安さん(渡瀬恒彦)が営む古道具屋「時代屋」に、ある日、真弓(夏目雅子)という女が現われ、その日のうちにふたりは男女の関係になり、真弓はそのまま店に居ついてしまいます。
真弓は「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」と、自分がどういう過去の持ち主なのか語ろうとせず、安さんも「何も言わず、何も聞かずが好きだから」と、無関心が粋とばかりに、あえて聞こうとはしません。
ふらっと店を出たまましばらく帰ってこない日が続いたかと思うと、何事もなかったかのように戻ってくる真弓。恋人関係ではあるが、淡々とした、平熱に冷めたような、不思議な距離感・温度感の日々が続きます。
そしてまた彼女がいなくなりました。何度目かの失踪です。安さんには慣れたものですが、今度はいつもより長そうです。
さすがに不安になり、やきもきし、苛立ち、時に悶々とする安さん。揃いも揃って変わり者ばかりな彼の仲間たちは、同情したり、励ましたり、笑い飛ばしたり、慰めたりと様々ですが、そんな中で、ある女性が放ったひと言がこのセリフです。
言わずもがな、主語は「女」だけに限らないでしょう。非情に手前勝手な、心無い言い様ですが、妙に共感・納得できるものがあります。それは、自分を失って相手が負った心の傷が大きければ大きいほど、相手にとっての自分の存在(自分への恋慕や愛情)が大きいことに他ならないからです。自分が相対的に持ち上がるからです。
実に残酷な心情をぬけぬけとあからさまに言い表したセリフですが、老若男女問わず、人間なんてすべからくそんな生きもの、と達観したくなるような名言です。
そして、上述の、真弓の「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」、安さんの「何も言わず、何も聞かずが好きだから」というスタイルやスタンスは、恋愛に傷つかないための防御的な知恵として、編み出されたのかもしれません。
生きてる?そら結構だ。
君の気持ちもわかるよ。わかりすぎるほどよくわかるよ。
だがね、それもいっときの感情だよ。
明日になれば気持ちも変わるさ。何もかも忘れてしまうよ。

「秋津温泉」より
死に直面し、自ら死を望んでいた男(長門裕之)。彼を献身的に支え、はつらつとした精気を与え続け、生きる希望を植え付けた女(岡田茉莉子)。秋津温泉での二人の出会いは、間違いなく運命的でした。再生を果たした男は、女を愛し、また女も男を愛しました。女が男に注ぎ込んだ生きる力は、男の中で色気となり、女を魅了したのです。
しかし、男が愛したのは女だけではありませんでした。男は結婚しました。糟糠の妻との間に子を持ち、東京に暮らす男。そして数年に一度秋津温泉に現れ、都合よく自分を抱いて去ってゆく男に翻弄される女。気づくと十七年もの月日が経っていました。皮肉なことに出会った時とは反対に、女が死を望むようになっていたのです。それは男への愛の不毛に消耗し絶望したからです。
このセリフは、そんな女に男が去り際に放った、ある意味無責任と軽薄の極致とも言える放言です。他ならぬ男自らが弱らせ絶望させ、そのせいでこれから死のうとしている女に対しての去り際の言葉としては、了見を疑わざるを得ません。いや、この言葉以前に、死のうとしている女の前から去るという行動が衝撃的ですらあります。
ただ、そういった背景と文脈から切り離された、この物語とは無関係な、純粋な慰めと励ましの発言としてならば、これは過不足なく機能的な言葉かもしれません。
全ての真実が、国民の安全と幸せにつながるとは限りません。




