松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。
行かなくては。
止まっちゃいけない。

「夜の片鱗」より
昼は工場、夜はバーで働く19歳の芳江(桑野みゆき)は、駆け出しのヤクザ組織の下っ端・英次(平幹二郎)の情婦となった。惚れた弱みか、組織への上納金の無心など英次の頼みを断れない芳江。一方でうだつの上がらない日々を送る英次は組織での出世も叶わず、単なる芳江のヒモに成り下がっていた。やがて英次の鬼畜っぷりはエスカレートし、遂には芳江に売春を強要するようになった。さすがに気持ちも肉体も悲鳴を上げ耐えきれなくなる芳江。しかし、英次がどうしようもない男と知りつつ離れることのできない複雑な心理に揺れ動き翻弄され、結局逃げだすことができない。そんなただひたすらに堕ちていく日々の中、建築技師の藤井(園井啓介)と出会う。芳江に惚れた藤井は、なんとかして芳江を救い出し、自分の転勤先に連れて行き、結婚して幸せに導こうとするが…。
このセリフは、そんな藤井の求愛に応えたい、すなわち英次との地獄のような日々から脱出したい気持ちを必死に自分に言い聞かせる芳江の心の叫びです。しかし、英次により消えない焼き印を刻まれたかのような芳江は、まるで薬物中毒からの脱却さながらに苦悶するのです。また、英次との関係は救われようの無い共依存の域に達していたとも見ることができます。良くも悪くも、男女の関係は簡単には断ち切れない、理屈では説明できないような抗い難い引力により否応なく結び付けられ、人はそれを時に優しく「腐れ縁」と言ったり、時に厳しく辛辣に「呪縛」と突き放したりします。とにかく、強く結びついてしまった悪しき関係の切断には、このセリフのような強い気持ちが、最低限必要なのです。
その他のちょっと良いセリフ
おてんとうさまは見ているぜ
“世間”って誰?どこの誰のこと?
そんな顔も見えない人たちのことなんてどうでもいい
私は自分の物差しで生きるの

「人間失格 太宰治と3人の女たち」より
妻子ある新進気鋭の小説家・太宰治(小栗旬)との不倫の挙句に子を身ごもった太田静子(沢尻エリカ)による、世間体を前面に押し出して不倫を非難・叱責する弟(千葉雄大)に対しての開き直った反論でもあり、自分の信条や生き方の肯定でもあるセリフ。
たった一度きりの人生、たとえ後ろ指さされようとも自分の感覚を信じて好きなように生きる、そんな高らかな自由の宣言です。
静子自身、太宰と同業の若き作家。創作に取り憑かれ優れた表現欲を持つ者が、活動の源泉として半ば代償のように常識と引き換えに背負わされる、ある種の反社会性や非道徳性。その是非はともかく、そこに恐ろしい魔力(魅力)があることは確かです。
ママも大変ですね

「黒革の手帖」より
銀行員の原口元子(山本陽子)は、勤め先の銀行に複数もの架空名義の裏金口座の存在を突き止め、それをネタに上層部から口止め料として大金をせしめた後に退職、銀座でホステスの修行を経て自分のクラブ「カルネ」をオープン、オーナーママとなっていた。やがて、架空名義預金者の一人・楢林(三國連太郎)をカルネの客にし、色仕掛けで篭絡、架空名義預金をネタに脅して再び大金をせしめることに成功する。
ところが、ある日、かつて元子がカルネで雇っていた若手のホステスで、独立して自分の店を持つためにカルネを辞めていった波子(萬田久子)が乗り込んで来た。波子は楢林の愛人で、贅沢三昧の放蕩生活を送るばかりか、楢林の架空名義預金を投じた資金援助により、カルネと同じビルの上層階に全てにおいてカルネの上をゆく自分の店を持つ算段だったのだが、元子に大金をせしめられた楢林は余裕が無くなり、波子への援助を打ち切ったのだった。
パトロンを元子に奪われたかたちの波子は怒髪天を衝く勢いで元子を口汚く罵った挙句に掴みかかる。一方の元子も黙っておらず、暴力には暴力で応戦、銀座の女同士の喧嘩は泥仕合の様相を呈する。なんとか周りの制止で収まった騒動だが、間の悪いことに、その一部始終を、元子がほのかな想いを寄せる相手である、出馬を前にした政治家の卵でカルネの新しい常連客になりつつあった安島富夫(田村正和)が見ていた。
このセリフは、女同士の喧嘩が終わったばかりの、傷つき乱れた元子に安島がかけた言葉。他人行儀で表面的な社交辞令に過ぎない、軽く薄っぺらい言葉だが、それはこの場にあって多くの言葉を費やすのは元子にとっても気まずいだろうとの配慮があってのこと(→筆者の勝手な憶測)、この数日後、落ち着きをみせた元子に対して余りにも正論すぎてぐうの音も出ないような、それでいて元子を優しく包み込むフォローの言葉があった。まさに、男も惚れるモテ男。それは、どんな言葉だったのか、本編で確かめるべし。
好きなことがあるのはいいことなんじゃないかな
そりゃ今は悲しいだろうけどさ。月日がたちゃどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってのは、本当にいい事だな。
お前もいずれ、恋をするんだなぁ。あぁ、可哀想に。
泣くがいいさ 腹いっぱい泣くがいいさ。
労働者諸君!田舎のご両親は元気かな。たまには手紙をかけよ。
君の気持ちもわかるよ。わかりすぎるほどよくわかるよ。
だがね、それもいっときの感情だよ。
明日になれば気持ちも変わるさ。何もかも忘れてしまうよ。

「秋津温泉」より
死に直面し、自ら死を望んでいた男(長門裕之)。彼を献身的に支え、はつらつとした精気を与え続け、生きる希望を植え付けた女(岡田茉莉子)。秋津温泉での二人の出会いは、間違いなく運命的でした。再生を果たした男は、女を愛し、また女も男を愛しました。女が男に注ぎ込んだ生きる力は、男の中で色気となり、女を魅了したのです。
しかし、男が愛したのは女だけではありませんでした。男は結婚しました。糟糠の妻との間に子を持ち、東京に暮らす男。そして数年に一度秋津温泉に現れ、都合よく自分を抱いて去ってゆく男に翻弄される女。気づくと十七年もの月日が経っていました。皮肉なことに出会った時とは反対に、女が死を望むようになっていたのです。それは男への愛の不毛に消耗し絶望したからです。
このセリフは、そんな女に男が去り際に放った、ある意味無責任と軽薄の極致とも言える放言です。他ならぬ男自らが弱らせ絶望させ、そのせいでこれから死のうとしている女に対しての去り際の言葉としては、了見を疑わざるを得ません。いや、この言葉以前に、死のうとしている女の前から去るという行動が衝撃的ですらあります。
ただ、そういった背景と文脈から切り離された、この物語とは無関係な、純粋な慰めと励ましの発言としてならば、これは過不足なく機能的な言葉かもしれません。
まぁ あれだな
つらいこともあるんだろうけど 辛抱してやれや
一所懸命辛抱してやってりゃ いいことあるよ
何か困ったことあったら いつでも来いや

「幸福の黄色いハンカチ」より
失恋した花田欣也(武田鉄矢)は会社を辞めた退職金で新車を買い、心の痛手を癒すために北海道へ旅に出ました。道東で訳アリっぽい小川朱美(桃井かおり)という女性と出会った鉄也は、網走刑務所から出所したばかりの島勇作(高倉健)とも知り合い、三人で旅を進めます。
勇作は夕張の炭鉱で働き結婚していましたが、流産をきっかけに妻・光枝(倍賞千恵子)が前夫との間でも流産していた事が発覚、秘密を嫌った勇作は光枝と諍いを起こし、やけになって出かけた夜の歓楽街でチンピラたちに絡まれ、そのうちの一人を殺してしまったのでした。
粛々と受刑の日々が進むなか、まだ若い光枝の将来の再婚と出産のためによかれと獄中で離婚を強行していた勇作ですが、刑期を終える直前に光枝に手紙を送りました。そして、その手紙に勇作が込めたメッセージの結末を確かめに、三人はいちかばちか勇作の妻のもとへ、はるばる夕張へと向かうことに。
道中、ひょんなことから勇作が車を運転することになりますが、そこで運悪く検問に引っ掛かり、服役中に免許が失効している勇作の無免許運転が発覚してしまいます。しかし、勇作が逃げようとも隠そうともせず正直に自白したこと、そして運よく奇遇にも所轄警察署の交通係長・渡辺(渥美清)が、かつて勇作が夕張で殺人事件を犯した時の担当警察官だったことで、無免許運転が軽微な処分で済まされたのです。
このセリフは、そんな勇作との久しぶりの再会を喜んだ渡辺係長の、多くを語らない勇作の性格と、服役中の模範的な囚人生活を推察し、さらには出所後の心境をも慮っての言葉です。まるで同じ渥美清演じる『男はつらいよ』シリーズの寅次郎度々口にしているようなセリフで、ある意味本作ならではの独自性はありませんが、名優・渥美清の、噛んで含めるような口調と表情、行間から溢れる滋味深い人間味も相俟って、じんわりとしっかりと、確実に心に沁みるのです。





