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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

そりゃ今は悲しいだろうけどさ。月日がたちゃどんどん忘れて行くものなんだよ。忘れるってのは、本当にいい事だな。

「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎(第27作)」より

幼いころ生き別れになった最愛の弟を、ひょんなことで出会った寅次郎(渥美清)と共に探す芸者の浜田ふみ(松坂慶子)だが、弟は病死していた。悲嘆に暮れながらも、弟の婚約者の、結婚を前に相手を亡くした悲しみを思い遣るふみ。そんなふみに、自分は頭が悪いからすぐに色々な事を忘れると卑下しながらも、寅次郎がかけた、慰めでもあり励ましでもある言葉。忘れるという事は人生の知恵でもある、とも聞こえる。

その他のちょっと良いセリフ

ちゃんと知ってるのよ
前の奥さんにこっそり会ってるってこと

「この子の七つのお祝いに」より

当然ながら、これは奥さんから旦那さんへの言葉です。そのうち、おそらく最も恐ろしい部類のものです。
「前の奥さん」の部分には幾つかのバリエーションが当てはまり、そうなると夫婦に限らず恋愛関係全般に範囲は広がると思いますが、
いずれにせよ言われた立場としては背筋がゾッとするセリフです。
特に本作のこのセリフのように、突然笑いながら言われた場合、恐怖きわまり、反射的な高速で土下座し謝罪してしまうかもしれません。
ともかく、不実な行為はしないにこしたことはありません。実態は健全なものであっても、不実を疑われる行為は避けたいものです。
誠実に生きたいものです。

ゲロンチョリー!

「鴨川ホルモー」より

物語に登場する「オニ語」の1つ。すごくインパクトがあるので、鑑賞後も思わず口にしたくなる言葉です。

考えたらダメっす。
取り込まれますよ。

「ミンナのウタ」より

居る(在る)はずのないモノ、すなわち見てはいけないモノを見てしまった関口と中務。当然恐れおののき狼狽する関口に対して、冷静な中務が諭した言葉です。
想定できない、想像を超えた(外れた)事象に直面すると、人は往々にしてその事そのものや原因・理由、真偽などを考えてしまい、不安や恐怖に支配され、思考も行動も不自由になってしまいます。まさに事象に「取り込まれ」るのです。
しかし、それを避けるための、自由でいるための知恵、それが「考えない」ことなのです。これは人生の様々な局面で有効な、普遍性・汎用性の高い知恵かもしれません。
さて、ここで見事な冷静さを見せた中務ですが、果たして彼らはその先で待ち受ける恐るべき異常な怪異事象の数々を、「考えない」ことで「取り込まれ」ずにいられるのでしょうか・・・

どんな死にも必ず意味があります。

「オクス駅お化け」より

頭も心も身体も日々それなりに忙しく生きる中、人は、自分の人生とは関係のない、無縁な人物、すなわち他人の死を、ややもすれば単なるいち事象としてドライに受け取ってしまうきらいがあります。
しかし、どんな人でも人生(歴史)があり、家族や友人・知人、愛する人・愛してくれる人がいて、死そのものは不運による場合も多々ありますが、自ら死を選んだ人には必ずそうするに至った理由があるのです。
他人の死に際し、いちいちその背景に思いを馳せる必要は無いとは思いますが、少なくともその人が生きていたという事には、ささやまな敬意を持ちたいものです。

そうよ、人生は賭よ。

「男はつらいよ 純情篇(第6作)」より

印刷工場から独立を夢見る博(前田吟)を、義理人情に欠けリスクもあると諭すサクラ(倍賞千恵子)に対して、危険や不安を恐れていてはなにもチャレンジできないと反論する博に、まるで自らを鼓舞するかのように同調し応援する寅次郎(渥美清)の言葉。

命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。

「大名倒産」より

家族とお国を守るために、分かっていながらも権力者の命に逆らえず罪を犯したことへの贖罪として自死を選ぼうとした実直な侍を、ぎりぎりのところで踏みとどまらせた小四郎(神木隆之介)のセリフ。
自ら選ぶ死はいかなる理由があれど、余程の特殊な場合を除き、決して本当の意味での贖罪にはなり得ません。それで満足するのは残念ながら死にゆく当人のみです。つまり単なる自己満足なのです。
ならば、その命を絶たず、家族のために、世話や恩や受けた誰かのために使う、それが生を受けた者の使命であり、生きる意味です。
思い詰めた時だけでなく、日々復唱したいほどの金言です。

“世間”って誰?どこの誰のこと?
そんな顔も見えない人たちのことなんてどうでもいい
私は自分の物差しで生きるの

「人間失格 太宰治と3人の女たち」より

妻子ある新進気鋭の小説家・太宰治(小栗旬)との不倫の挙句に子を身ごもった太田静子(沢尻エリカ)による、世間体を前面に押し出して不倫を非難・叱責する弟(千葉雄大)に対しての開き直った反論でもあり、自分の信条や生き方の肯定でもあるセリフ。
たった一度きりの人生、たとえ後ろ指さされようとも自分の感覚を信じて好きなように生きる、そんな高らかな自由の宣言です。
静子自身、太宰と同業の若き作家。創作に取り憑かれ優れた表現欲を持つ者が、活動の源泉として半ば代償のように常識と引き換えに背負わされる、ある種の反社会性や非道徳性。その是非はともかく、そこに恐ろしい魔力(魅力)があることは確かです。

――腹 割かれたくなかったんじゃないの?
――浮いてんだろ?
  梶の横っ面(つら)張るまでは沈まないよ

「GONIN2」より

(劇映画などフィクションの世界では)ヤクザのオーソドックスな死体処理の仕方の一つに、海に沈める、というものがあります。ただし、ただそうする訳ではありません。死体の腹部を裂いて体内のガスを、ある程度手間と時間をかけて、入念に抜くのです。それを怠ると、やがて死体の中でガスが膨張するなどして、せっかく沈めた死体が浮き上がってきてしまうのです。余裕があれば、相当な重量の重りと共に沈める、という場合もあります。
このセリフは、ヤクザの末端組織に属するチンピラの梶(松岡俊介)という男に身も心も許し、運命をも委ね、共に犯罪に手を染めたが、土壇場で裏切られ重傷を負った女・直子(片岡礼子)が、傷が癒えぬままプールを泳いでいた場面で、直子の傷を手当てした蘭(余 貴美子)が心配してかけた言葉と、それに対する直子の返答です。
この短い対話には、先述した恐ろしい死体処理をするヤクザに絶対に捕まらない、殺されない、腹を裂かれない、すなわち「沈まない」という強い意志と、愛し信じていたのに自分を裏切った男に復讐するまでは絶対に死なない、すなわち「沈まない」(重傷を負っているにもかかわらず実際にプールに「浮いて」泳いでいる)というもう一つの強い意志、「沈まない」で生き延びる二つの意志が表現されています。
心身ともに傷ついた女たちが、水面煌めく夜のプールを、手負いであることを忘れたかのように、無邪気に戯れる人魚さながら浮かび泳ぐ、詩情すら漂う美しい場面ではありますが、意志は強し、病は気から、を象徴的に描いた力強い場面とも言えます。いかなる窮地にあっても、そんな強い気持ちを持ちたいものです。

調べるのやめました

「八つ墓村」より

複雑怪奇かつ難解な連続猟奇殺人事件の謎を解き、見事に解決した金田一耕助(渥美清)による、事件解決後の飄々としつつも諦念めいた意味深な発言。誰の為にもならない、誰の得にもならない、むしろ害悪にしかならないような真実は、調べる必要があるのか?いや、無い。調べたら調べたで、それを隠さなければならない、そのような真実に価値はあるのか?いや、無い。まるでそんな問答がひとしきり込められたような、短いながらも含蓄豊かなセリフです。探偵にとっては職務放棄、依頼者への背信行為とも言える、敢えて調査を止めるという選択。そこに金田一耕助を名探偵たらしめている優しさと聡明さを感じずにはいられません。

燃えるような恋をしろ。大声出してのたうち回るような、恥ずかしくて死んじゃいたいような、恋をするんだよ。

「男はつらいよ 拝啓車寅次郎様(第47作)」より

大学時代の先輩の妹・菜穂(牧瀬里穂)とのロマンスを経験した満男(吉岡秀隆)、長年連れ添った夫との倦怠に悩む主婦(かたせ梨乃)との淡い恋を終えた寅次郎(渥美清)。共に琵琶湖畔で失恋を味わったふたり。大学を卒業し社会人となった甥との絆は更に深まったが、かわいい甥への愛情あふれる伯父の視線は変わらない。そんな寅次郎が、再び新たな旅に出る別れ際に満男に残した言葉。物語の前半で久しぶりに満男と再会した寅次郎が投げかけた「燃えるような恋愛してるか」と呼応する、大人の男の先輩としての根源的な力強いエールの言葉。

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