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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

恥ずかしいっていうことは
人間だけが知っていることだ
尊いことだよ

「カルメン故郷に帰る」より

雄大で風光明媚な浅間山麓・北軽井沢で牧場を営む青山家の娘・おきん(高峰秀子)は、家出をして東京でリリィ・カルメンという名のストリッパーになっていた。秋のある日、仲間の踊り子・マヤ朱実(小林トシ子)を連れ、故郷へ錦を飾りに帰ってくるおきん。派手な出で立ちでエキセントリックな行動をするハイカラ娘たちに村人たちは戸惑いを隠せずにいるが、自分たちを芸術家だと信じる2人は、村でストリップ公演を敢行すると言いだす。おきんの父・正一(坂本正)は、おきんが子供の頃に牛に頭を蹴られたことが原因で少し頭が弱くなったと疑っており、そんな娘を不憫に憂いていたが、ここにきて自分の娘がストリッパーであること、村人たちの前でストリップすなわち裸踊りを実演しようとしていることを、娘と顔を合わせられないほどに恥ずかしいと、涙ながらに嘆いていた。
これは、そんな正一を、芸術文化の養護推進を是とする信念の持ち主である村の小学校の校長先生(笠智衆)がなぐさめたセリフです。正一は、父としておきんを恥ずかしいと思うに加え、不憫に、そして申し訳なく思い、さらにはそんな自分をも恥ずかしいと思っていたのかもしれません。しかし、おそらく正一が抱く幾つもの感情をすべて洞察していた校長先生の言葉は、涙に咽ぶ正一を包み込むなぐさめの言葉であると同時に、娘を思う父への賛辞であり、激励でもあったのです。

その他のちょっと良いセリフ

命を軽んじるのが武士ではありません。
命に感謝し、毎日を懸命に生きよう
それが武士の、いえ、人の在るべき姿です。
人は生きてこそ誰かの役に立てるのです。

「大名倒産」より

家族とお国を守るために、分かっていながらも権力者の命に逆らえず罪を犯したことへの贖罪として自死を選ぼうとした実直な侍を、ぎりぎりのところで踏みとどまらせた小四郎(神木隆之介)のセリフ。
自ら選ぶ死はいかなる理由があれど、余程の特殊な場合を除き、決して本当の意味での贖罪にはなり得ません。それで満足するのは残念ながら死にゆく当人のみです。つまり単なる自己満足なのです。
ならば、その命を絶たず、家族のために、世話や恩や受けた誰かのために使う、それが生を受けた者の使命であり、生きる意味です。
思い詰めた時だけでなく、日々復唱したいほどの金言です。

考えたらダメっす。
取り込まれますよ。

「ミンナのウタ」より

居る(在る)はずのないモノ、すなわち見てはいけないモノを見てしまった関口と中務。当然恐れおののき狼狽する関口に対して、冷静な中務が諭した言葉です。
想定できない、想像を超えた(外れた)事象に直面すると、人は往々にしてその事そのものや原因・理由、真偽などを考えてしまい、不安や恐怖に支配され、思考も行動も不自由になってしまいます。まさに事象に「取り込まれ」るのです。
しかし、それを避けるための、自由でいるための知恵、それが「考えない」ことなのです。これは人生の様々な局面で有効な、普遍性・汎用性の高い知恵かもしれません。
さて、ここで見事な冷静さを見せた中務ですが、果たして彼らはその先で待ち受ける恐るべき異常な怪異事象の数々を、「考えない」ことで「取り込まれ」ずにいられるのでしょうか・・・

生き延びるため、時には長きものにも巻がれなければならぬ!

「超高速!参勤交代」より

たった4日で参勤交代!?お上に無理難題をおしつけられた弱小貧乏藩。「あ~こういう時ある!」と思わず共感してしまう名セリフ。
ここであきらめないのが湯長藩の底力。金なし!人なし!時間なし!藩と領民を守るため、知恵をしぼって逆境に立ち向かう奇想天外な作戦の数々は一見の価値あり。

ある年齢に達したら、一切仕事から離れて、鮭のように故郷に帰って暮らしたい。かねがね私はそう考えて参りました。

「釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇(第14作)」より

スーさんが目をかけていた高野常務(青島幸男)が会社を辞めて故郷の萩に帰ることになってしまった。「田舎に帰って何をするつもりなんだ」と聞くスーさんに、「何もしないんです」と答える高野。入社以来ずっと会社のために働いてきたので、今後は自分のためだけに、気楽に暮らしたいと。だが、故郷での暮らしを手に入れたのもつかの間、高野は体を壊して亡くなってしまう。「君が思い描いた晴釣雨読の日々は、こんなにあっけなく終わってしまった。人生はうまくいかないもんだな」とつぶやくスーさんの姿は、胸を打つシーンです。

会社というのはたくさんの歯車で成り立っている。その歯車をスムーズに噛み合わせるためには潤滑油が必要。この浜崎くんは潤滑油の役割を果たしているのではないかと思います。

「釣りバカ日誌8(第9作)」より

渓流釣りの後、山で遭難してしまったハマちゃんとスーさん。会社の一大事に大捜索が行われ、会社をサボっていたことがバレてしまった。懲罰委員会で解雇の危機に立たされたハマちゃんをかばうため、佐々木課長(谷啓)が重役たちの前で発言した言葉。普段はガミガミうるさい課長のハマちゃんへの愛情を感じる温かい言葉です。

事件はきわめて難しい状況に直面し、連日の皆さんのご苦労にもかかわらず、遅々として捗りません。

「砂の器」より

殺人事件の被害者の身許が不明、殺される直前に誰かと会っていたことが判明したが、その人物も不明。そのふたりの会話のなかで交わされていた謎の言葉も、それが何を指すのか全くもって不明。
あらゆることが謎のまま捜査は難航どころか迷宮入りがちらつくほど暗礁に乗り上げていました。そんな八方塞がりの状況下、真夏のうだるような暑さのなか開かれた捜査会議で、とあるベテラン刑事が発した苦渋の言葉。
それは捜査陣にとっての目の前の現実を過不足なく客観的に表した発言であると同時に、この事件がいかに難解であるか、解決までの道のりが果てしなく遠く険しいことを想起させます。
しかし、知恵と気力体力を振り絞った不撓不屈の捜査の果てに、物語は衝撃と戦慄の真実へと至り、その核心は、人間の業と宿命の深淵へと導かれるのです。

幸せは希望の向こう側にある。

「大怪獣のあとしまつ」より

人類を未曽有の恐怖に陥れた大怪獣が、ある日突然、死にました。国民は歓喜に沸き、政府は怪獣の死体に「希望」と名付け、国全体が安堵に浸ったのです。しかし、安堵も束の間、この巨大怪獣の死体が腐敗による体温上昇で徐々に膨張が進み、ガス爆発の危機が迫っていることが発覚します。大怪獣の死体が爆発し、漏れ出したガスによって周囲が汚染される事態になれば国民は混乱し、国家崩壊にもつながりかねません。そこで、絶望的な時間との闘いの中、国民の運命を懸けて死体処理という極秘ミッションを任されたのは首相直轄組織・特務隊の隊員である帯刀アラタ(山田涼介)でした。このセリフは、ほとんどインポッシブルなミッションに挑むアラタの、諦めない気持ちの力強い表明です。また、先般大怪獣が「希望」ネーミングされた事にも引っかけた、ウィットとユーモアの効いたナイス発言とも言えるでしょう。いかなる無理難題を前にし、どんなに過酷な難局にあっても、このような強い気持ちと余裕を持っていたいものです。

自分をいじめることはねぇ
てめぇでてめぇを大事にしなくて
誰が大事にするもんか

「異人たちとの夏」より

幼いころ交通事故で死別した父・英吉(片岡鶴太郎)、母・房子(秋吉久美子)と約30年ぶりに“再会”を果たした原田英雄(風間杜夫)は、テレビドラマの人気脚本家として活躍中であることを褒められるも過度に謙遜し、そのうえ、自分がよき夫、よき父親ではなかったせいで離婚し、妻子と別れるに至ったことを、自責の思いとともに自虐的に話した。そんな自信喪失気味な英雄に、父・英吉がかけた、江戸っ子らしい威勢の中に温もりと父の愛がこめられた言葉。この言葉を胸に、(少なくともたまには)自分を褒め、心身ともに気遣い、日常と人生を頑張って生きたいものです。

君が必要か必要でないかは社長である私が決めることなんだ。君がどんなにダメな社員であったとしても、ひょっとして必要な場合があるかもしれないでしょう。

「釣りバカ日誌7(第8作)」より

自分は会社にとって必要ではないから辞職したいと申し出たハマちゃんに、社長のスーさんが放ったセリフ。経営者はこんな視点が必要ですね。

労働者諸君!田舎のご両親は元気かな。たまには手紙をかけよ。

「男はつらいよ 寅次郎真実一路(第34作)」より

飲み屋で文無しだった寅次郎を救ってくれたことが縁となり意気投合した証券マン富永健吉(米倉斉加年)が、ある日激務と競争に疲弊し突然失踪した。富永夫人・ふじ子(大原麗子)と捜索に出る寅次郎(渥美清)だが、美しく気立ての良いふじ子とのあらぬ将来を妄想してつい気をよくしてしまい、タコ社長営む印刷所の住みこみ工員たちにかけた言葉。あながち軽い発言ではなく、この作品に通底する過剰労働への警鐘に通底する社会への提言、すなわち、仕事ばかりにかまけるのではなく、しっかり休んで、わが身や家族を顧みようというメッセージとも言える。

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