松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。
君の気持ちもわかるよ。わかりすぎるほどよくわかるよ。
だがね、それもいっときの感情だよ。
明日になれば気持ちも変わるさ。何もかも忘れてしまうよ。

「秋津温泉」より
死に直面し、自ら死を望んでいた男(長門裕之)。彼を献身的に支え、はつらつとした精気を与え続け、生きる希望を植え付けた女(岡田茉莉子)。秋津温泉での二人の出会いは、間違いなく運命的でした。再生を果たした男は、女を愛し、また女も男を愛しました。女が男に注ぎ込んだ生きる力は、男の中で色気となり、女を魅了したのです。
しかし、男が愛したのは女だけではありませんでした。男は結婚しました。糟糠の妻との間に子を持ち、東京に暮らす男。そして数年に一度秋津温泉に現れ、都合よく自分を抱いて去ってゆく男に翻弄される女。気づくと十七年もの月日が経っていました。皮肉なことに出会った時とは反対に、女が死を望むようになっていたのです。それは男への愛の不毛に消耗し絶望したからです。
このセリフは、そんな女に男が去り際に放った、ある意味無責任と軽薄の極致とも言える放言です。他ならぬ男自らが弱らせ絶望させ、そのせいでこれから死のうとしている女に対しての去り際の言葉としては、了見を疑わざるを得ません。いや、この言葉以前に、死のうとしている女の前から去るという行動が衝撃的ですらあります。
ただ、そういった背景と文脈から切り離された、この物語とは無関係な、純粋な慰めと励ましの発言としてならば、これは過不足なく機能的な言葉かもしれません。
その他のちょっと良いセリフ
責任や。『普通』っていうのは、そういうもんやろ?
「私を殺してでも行きたい?」「行きたい」「じゃいいわ。殺してちょうだい」
そのうち良いことあるから、な

「男はつらいよ 寅次郎春の夢(第24作)」より
新市場開拓にアメリカから日本にやってきたビタミン剤のセールスマン、マイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)は、日本での飛び込み営業がことごとく上手く行かず、宿代にも事欠く窮状だったが、ひょんなことからとらやに下宿することに。一方で、常日頃からアメリカぎらいを露悪的に公言していた寅次郎(渥美清)だが、素朴で真っ直ぐな人柄のマイケルと過ごすうちに、いつしか友情が育まれていった。結局日本での商売は何一つ上手く行かず失意と自信喪失のうち母の待つアメリカに帰国することになったマイケルとの別れ際に寅次郎が贈った言葉。失敗や不運が続いても、くよくよせず気持ちを切り替え前向きに生きて行く寅次郎の生き方を象徴したセリフであり、弱った友人を励ます、温かくも力強いエールです。
恥ずかしいっていうことは
人間だけが知っていることだ
尊いことだよ

「カルメン故郷に帰る」より
雄大で風光明媚な浅間山麓・北軽井沢で牧場を営む青山家の娘・おきん(高峰秀子)は、家出をして東京でリリィ・カルメンという名のストリッパーになっていた。秋のある日、仲間の踊り子・マヤ朱実(小林トシ子)を連れ、故郷へ錦を飾りに帰ってくるおきん。派手な出で立ちでエキセントリックな行動をするハイカラ娘たちに村人たちは戸惑いを隠せずにいるが、自分たちを芸術家だと信じる2人は、村でストリップ公演を敢行すると言いだす。おきんの父・正一(坂本正)は、おきんが子供の頃に牛に頭を蹴られたことが原因で少し頭が弱くなったと疑っており、そんな娘を不憫に憂いていたが、ここにきて自分の娘がストリッパーであること、村人たちの前でストリップすなわち裸踊りを実演しようとしていることを、娘と顔を合わせられないほどに恥ずかしいと、涙ながらに嘆いていた。
これは、そんな正一を、芸術文化の養護推進を是とする信念の持ち主である村の小学校の校長先生(笠智衆)がなぐさめたセリフです。正一は、父としておきんを恥ずかしいと思うに加え、不憫に、そして申し訳なく思い、さらにはそんな自分をも恥ずかしいと思っていたのかもしれません。しかし、おそらく正一が抱く幾つもの感情をすべて洞察していた校長先生の言葉は、涙に咽ぶ正一を包み込むなぐさめの言葉であると同時に、娘を思う父への賛辞であり、激励でもあったのです。
言霊ってあるんだよ!言葉の力ってすごいんだよ!
どんな死にも必ず意味があります。
命というものがたった一つでないのなら…我々はなんのために必死になって生きているのですか
先生からは1点だけ、幸せになってください
全ての真実が、国民の安全と幸せにつながるとは限りません。
燭台はこの人が盗んだのではなくわたしが差し上げました

「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾(第35作)」より
長崎にて、ツキに見放され商売が全く上手くいかず、宿賃すらも事欠いたテキヤ仲間で悪友のポンシュウが、転売しようと教会に侵入し燭台を盗みます。現場を目撃され、警察のお縄となったポンシュウですが、教会の神父が警察に証言したこの言葉によって釈放されます。その後、心を入れ替え、神父に恩返しすべく教会で働くポンシュウ。
これまで幾度となく映画化されている、かの文豪ヴィクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラブル』の名エピソードを華麗に引用したこのセリフは、『男はつらいよ』シリーズで一貫して描かれている、市井の人々の「寛容」と「善意」、そして「博愛」を象徴するセリフでもあります。






