松竹の2000本以上の映画作品から、オススメ映画をご案内

文字サイズ

松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

“世間”って誰?どこの誰のこと?
そんな顔も見えない人たちのことなんてどうでもいい
私は自分の物差しで生きるの

「人間失格 太宰治と3人の女たち」より

妻子ある新進気鋭の小説家・太宰治(小栗旬)との不倫の挙句に子を身ごもった太田静子(沢尻エリカ)による、世間体を前面に押し出して不倫を非難・叱責する弟(千葉雄大)に対しての開き直った反論でもあり、自分の信条や生き方の肯定でもあるセリフ。
たった一度きりの人生、たとえ後ろ指さされようとも自分の感覚を信じて好きなように生きる、そんな高らかな自由の宣言です。
静子自身、太宰と同業の若き作家。創作に取り憑かれ優れた表現欲を持つ者が、活動の源泉として半ば代償のように常識と引き換えに背負わされる、ある種の反社会性や非道徳性。その是非はともかく、そこに恐ろしい魔力(魅力)があることは確かです。

その他のちょっと良いセリフ

燭台はこの人が盗んだのではなくわたしが差し上げました

「男はつらいよ 寅次郎恋愛塾(第35作)」より

長崎にて、ツキに見放され商売が全く上手くいかず、宿賃すらも事欠いたテキヤ仲間で悪友のポンシュウが、転売しようと教会に侵入し燭台を盗みます。現場を目撃され、警察のお縄となったポンシュウですが、教会の神父が警察に証言したこの言葉によって釈放されます。その後、心を入れ替え、神父に恩返しすべく教会で働くポンシュウ。
これまで幾度となく映画化されている、かの文豪ヴィクトル・ユーゴーの名作『レ・ミゼラブル』の名エピソードを華麗に引用したこのセリフは、『男はつらいよ』シリーズで一貫して描かれている、市井の人々の「寛容」と「善意」、そして「博愛」を象徴するセリフでもあります。

今、幸せかい?

「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ(第13作)」より

陶芸家と幸せな結婚をしたはずの歌子(吉永小百合)は夫に先立たれ姑の元で肩身の狭い思いをして暮らしていた。「もし何かあったら、葛飾柴又のとらやを訪ねてきな。悪いようにはしないから」と声をかける寅さん。本当はそばで助けてあげたい気持ちを抑えた、短いけれど優しさあふれるセリフです。

調べるのやめました

「八つ墓村」より

複雑怪奇かつ難解な連続猟奇殺人事件の謎を解き、見事に解決した金田一耕助(渥美清)による、事件解決後の飄々としつつも諦念めいた意味深な発言。誰の為にもならない、誰の得にもならない、むしろ害悪にしかならないような真実は、調べる必要があるのか?いや、無い。調べたら調べたで、それを隠さなければならない、そのような真実に価値はあるのか?いや、無い。まるでそんな問答がひとしきり込められたような、短いながらも含蓄豊かなセリフです。探偵にとっては職務放棄、依頼者への背信行為とも言える、敢えて調査を止めるという選択。そこに金田一耕助を名探偵たらしめている優しさと聡明さを感じずにはいられません。

自分を醜いと知った人間は決してもう醜くねえって。

「男はつらいよ ぼくの伯父さん(第42作)」より

浪人中の身でありながら後輩との恋に悩み受験勉強が手につかない満男(吉岡秀隆)を飲み屋に連れ出した寅次郎(渥美清)。自分の気持ちが純粋な恋心ではなく不潔な気持ちだと思っていることを吐露した満男に対して、寅次郎がかけた励ましの言葉。不純な気持ちを不純だと認識している時点で純粋だ、とも言い換えることができる。実はこの言葉、かつて満男の母・さくら(倍賞千恵子)と結婚する前に、さくらに恋する父・博(前田吟)が寅次郎に語ったものだった。いま恋に思い悩む満男に、かつての父の言葉が伯父・寅次郎を経由して伝わった。

お前もいずれ、恋をするんだなぁ。あぁ、可哀想に。

「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋(第29作)」より

丹後から帰ってきた寅次郎は、珍しく憔悴し寝込んでいた。というのも、旅先で出会った、美しい未亡人かがり(いしだあゆみ)に恋し惚れ込んでしまっていたからだ。なおかつ、なんと今回はかがりの側も寅次郎に思いを寄せていた…。そんな稀にみる事態に憔悴し寝込んでいた寅次郎が、気づいたら少年に育っていた妹さくら(倍賞千恵子)の息子・満男(吉岡秀隆)に向けた言葉。一方的なものばかりとはいえ、恋というものに内在する悲喜交々の、特に悲しみ、すなわち失恋を何度も味わってきた寅次郎だからこその、これから青年となる満男の将来をを案じたつぶやき。

責任や。『普通』っていうのは、そういうもんやろ?

「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」より

「普通」に生きることを命じられた、伝説の殺し屋ファブル(岡田准一)。かつて救えなかった少女を救うことを、ヨウコ(木村文乃)に止められたときに出たセリフ。

命というものがたった一つでないのなら…我々はなんのために必死になって生きているのですか

「CASSHERN」より

終始描かれるおぞましい光景の中で、切実に命の尊さを訴えかける場面。重みと気迫に圧倒される…!

人の運命などというものは誰にもわからない。そこに人生の悩みがあります

「続・男はつらいよ(第2作)」より

幼いころ自分を捨てて出奔した実の母親を探しに、京都にやって来た寅次郎(渥美清)だが、ただ母親に会いに来ただけではなく、いつもの旅先のように、街頭で啖呵売を行う。母親に会えるのかもしれない期待もあってか、お客を煽る口上も、いつも以上に滑らかで勢いが増す寅次郎。そんな口上の中に紛れ込んでいたフレーズ。何気ない事を言っているように思えて、実はここには滋味深い人生哲学がこめられています。それは悩みであると同時に面白さでもある、そう高らかに主張しているようにも受け取れるセリフです。

ハンカチ渡してもいいですか?

「遙かなる山の呼び声」より

北海道・中標津の酪農地帯で、亡き夫が遺した農場を女手一つで営む未亡人・風見民子(倍賞千恵子)とそのまだ幼い一人息子・武志(吉岡秀隆)のもとで住み込み作業員として働く、素性を明かさぬ謎の男・田島耕作(高倉健)。
寝食だけ提供してもらえれば無給でもいいから働かせて欲しいという田島を渋々と雇い入れ、しばらくは警戒心を隠さなかった民子でしたが、息子の武志が田島に懐き、また田島も武志を可愛がっていることや、民子に一方的な思いを寄せる虻田(ハナ肇)が民子に乱暴しかけた際に田島が颯爽と勇躍し虻田を撃退したこと、その復讐にと虻田がゴロツキ三兄弟でやって来たのを軽く返り討ちにし、終いには逆に三兄弟に慕われるようになった田島に心を開き、その朴訥としながらも実直で温かみのある魅力に惹かれるようになっていました。
しかし、身辺に警察の捜査が迫ってきていたことを悟った田島は、民子たちのもとを去る決意をします。2年前、田島は借金苦で自殺した妻を葬式で罵った金融業者を殴り殺し、警察から逃げていたのでした。それを聞いた民子はショックを受けますが、すでに惚れていた田島に居て欲しいとすがりつきます。ですが、その甲斐なく、ついに警察に逮捕された田島は、立ちつくす民子と泣きながら追いかける武志の元から去って行くのです。
このセリフは、ラストシーン、刑が確定し列車で網走刑務所へ護送されている田島を駅で発見した民子が、田島の護送車両に乗り込み隣の席に座り、涙ながらにいつまでも出所を待つと伝えた際に、護送刑務官に言った言葉です。ハンカチの色は、黄色。『幸福の黄色いハンカチ』と同様に映画史に燦然と輝くこの圧巻のラストシーンで、自分(民子)の涙、田島の涙、刑務官の涙、そしてこの映画を観ている我々の涙をもまとめて拭いてくれるような、まるでそんな巨大な黄色いハンカチが存在するような錯覚さえ覚える、圧倒的な映画の力が漲る場面とセリフです。

「私を殺してでも行きたい?」「行きたい」「じゃいいわ。殺してちょうだい」

「釣りバカ日誌イレブン(第13作)」より

会社を休んで釣りに行きたいが、有休を使い果たし、身内の不幸の口実もすべて使い切ってしまったハマちゃん。残るはみち子さんくらいしかいなくなってしまった…と悩むハマちゃんに、みち子さんがかけた言葉。みち子さんの懐の深さが伝わってきます。

TOPへ戻る