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松竹映画に出てくる「いいセリフ」をご紹介します。

エロ100%でしょ

「マダムと女房」より

モダンの風が吹き荒れる時代の東京。郊外に建つ文化住宅に、劇作家・芝野(渡辺篤)が女房(田中絹代)とまだ幼い子供たちを連れて引っ越してきました。ある日、執筆中に隣家からジャズの音が流れてきて、苛立った芝野が抗議に行くと、現れたのは妖艶な美貌のモダンな洋装マダム(伊達里子)でした。部屋に招き入れられ、ミイラ捕りがミイラになったかのようにジャズの演奏に聴き惚れ、ついでに艶っぽいマダムも気になって仕方がない芝野。いっぽうその頃女房は、旦那が助平心でマダムのエロスにメロメロになっているに違いないと踏み、家で嫉妬の炎を燃やしていたのでした。このセリフは、そんな女房が放った、帰宅した旦那を激しく責めたてるひと言です。
先進的なモダンカルチャーの象徴の一つと言える、日本初の本格的トーキー映画である本作ですが、音声のみならずセリフ自体の表現にも、1931年の作とは思えぬほどの時代を超えた先鋭的なモダンさが、力強く宿っておりました。

その他のちょっと良いセリフ

行かなくては。
止まっちゃいけない。

「夜の片鱗」より

昼は工場、夜はバーで働く19歳の芳江(桑野みゆき)は、駆け出しのヤクザ組織の下っ端・英次(平幹二郎)の情婦となった。惚れた弱みか、組織への上納金の無心など英次の頼みを断れない芳江。一方でうだつの上がらない日々を送る英次は組織での出世も叶わず、単なる芳江のヒモに成り下がっていた。やがて英次の鬼畜っぷりはエスカレートし、遂には芳江に売春を強要するようになった。さすがに気持ちも肉体も悲鳴を上げ耐えきれなくなる芳江。しかし、英次がどうしようもない男と知りつつ離れることのできない複雑な心理に揺れ動き翻弄され、結局逃げだすことができない。そんなただひたすらに堕ちていく日々の中、建築技師の藤井(園井啓介)と出会う。芳江に惚れた藤井は、なんとかして芳江を救い出し、自分の転勤先に連れて行き、結婚して幸せに導こうとするが…。
このセリフは、そんな藤井の求愛に応えたい、すなわち英次との地獄のような日々から脱出したい気持ちを必死に自分に言い聞かせる芳江の心の叫びです。しかし、英次により消えない焼き印を刻まれたかのような芳江は、まるで薬物中毒からの脱却さながらに苦悶するのです。また、英次との関係は救われようの無い共依存の域に達していたとも見ることができます。良くも悪くも、男女の関係は簡単には断ち切れない、理屈では説明できないような抗い難い引力により否応なく結び付けられ、人はそれを時に優しく「腐れ縁」と言ったり、時に厳しく辛辣に「呪縛」と突き放したりします。とにかく、強く結びついてしまった悪しき関係の切断には、このセリフのような強い気持ちが、最低限必要なのです。

ああ、この人を幸せにしたいなぁと思う。この人のためだったら命なんかいらない、もう俺死んじゃってもいい、そう思う。それが愛ってもんじゃないかい?

「男はつらいよ 葛飾立志篇(第16作)」より

縁戚である御前様(笠智衆)の紹介でとらやの下宿人となった筧礼子(樫山文江)は、助手として考古学者の田所教授(小林桂樹)に熱心に師事する学者の卵だった。礼子に恋する寅次郎は、ひょんなことから田所教授とも知り合うが、なんと教授は礼子に思いを募らせていた。自分の気持ちに確信が持てずに告白する決心がつかず悶々としていた教授に、寅次郎が提言した言葉。愛という曖昧な感情をシンプルで具体的な思いに言い換え、とても分かり易く表現したその力強い言葉に背中を押され、教授は自分の気持ちを愛だと確信。勇気を出して礼子に恋文を手渡す。

ゆっくり知っていけばいいさ。夫婦なんだから

「PとJK」より

運命のイタズラで恋に落ちた、真面目な警察官の功太(亀梨和也)と女子高生のカコ(土屋太鳳)。結婚から始まる恋だからこそ、知らなかった彼の抱える心の傷を聞いて戸惑うカコに、功太の同僚がかけた言葉。困難を乗り越えながらもお互いを理解しあい成長していくピュアでハッピーな感動ラブストーリーです。

女ってね、別れるとき男が自分のために傷ついてたらバンザイなんだよ。

「時代屋の女房」より

35歳気ままな独身の安さん(渡瀬恒彦)が営む古道具屋「時代屋」に、ある日、真弓(夏目雅子)という女が現われ、その日のうちにふたりは男女の関係になり、真弓はそのまま店に居ついてしまいます。
真弓は「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」と、自分がどういう過去の持ち主なのか語ろうとせず、安さんも「何も言わず、何も聞かずが好きだから」と、無関心が粋とばかりに、あえて聞こうとはしません。
ふらっと店を出たまましばらく帰ってこない日が続いたかと思うと、何事もなかったかのように戻ってくる真弓。恋人関係ではあるが、淡々とした、平熱に冷めたような、不思議な距離感・温度感の日々が続きます。
そしてまた彼女がいなくなりました。何度目かの失踪です。安さんには慣れたものですが、今度はいつもより長そうです。
さすがに不安になり、やきもきし、苛立ち、時に悶々とする安さん。揃いも揃って変わり者ばかりな彼の仲間たちは、同情したり、励ましたり、笑い飛ばしたり、慰めたりと様々ですが、そんな中で、ある女性が放ったひと言がこのセリフです。
言わずもがな、主語は「女」だけに限らないでしょう。非情に手前勝手な、心無い言い様ですが、妙に共感・納得できるものがあります。それは、自分を失って相手が負った心の傷が大きければ大きいほど、相手にとっての自分の存在(自分への恋慕や愛情)が大きいことに他ならないからです。自分が相対的に持ち上がるからです。
実に残酷な心情をぬけぬけとあからさまに言い表したセリフですが、老若男女問わず、人間なんてすべからくそんな生きもの、と達観したくなるような名言です。
そして、上述の、真弓の「それ以上踏み込まないのが都会の流儀」、安さんの「何も言わず、何も聞かずが好きだから」というスタイルやスタンスは、恋愛に傷つかないための防御的な知恵として、編み出されたのかもしれません。

考えたらダメっす。
取り込まれますよ。

「ミンナのウタ」より

居る(在る)はずのないモノ、すなわち見てはいけないモノを見てしまった関口と中務。当然恐れおののき狼狽する関口に対して、冷静な中務が諭した言葉です。
想定できない、想像を超えた(外れた)事象に直面すると、人は往々にしてその事そのものや原因・理由、真偽などを考えてしまい、不安や恐怖に支配され、思考も行動も不自由になってしまいます。まさに事象に「取り込まれ」るのです。
しかし、それを避けるための、自由でいるための知恵、それが「考えない」ことなのです。これは人生の様々な局面で有効な、普遍性・汎用性の高い知恵かもしれません。
さて、ここで見事な冷静さを見せた中務ですが、果たして彼らはその先で待ち受ける恐るべき異常な怪異事象の数々を、「考えない」ことで「取り込まれ」ずにいられるのでしょうか・・・

成功すれば もちろんいい
しかし失敗して赤字を出したとしても
やらねえよりマシだと 俺は思うな
何て言ったらいいか
赤字をおっかながってやらないのは
それでもう失敗なんだ
だから失敗をおっかながってやらねえより
やって失敗したほうが 俺はいいな

「同胞」より

岩手県にある過疎に苦しむ農村の青年会会長・清水高志(寺尾聡)を、東京の劇団スタッフ河野秀子(倍賞千恵子)が訪ねて来ました。村でのミュージカル公演を青年会に主催して欲しいという劇団側、その要望に応えて公演主催を実現したい高志ほか青年会の中心メンバーたち。しかし、主催するということは赤字だった場合のリスクを背負うことを意味し、反対意見が大多数でした。高志の熱意によって賛同者は徐々に増えていたとはいえ、青年会全体の意見は割れている状態で、最終結論を出す総会を迎えます。
このセリフは、総会での議論が紛糾する中で、結論が出ずに暗礁に乗り上げかけた際に、とある青年会のメンバーが発言したものです。
素朴で親しみやすい中に、芯の強い、腰の入った勇気と覚悟、そして力強さがこもった、とても普遍性がある言葉です。仕事、スポーツ、受験などなど、組織や個人の別を問わず、ジャンルも問わず、すべての挑戦者の胸に宿り息づいて欲しい考えです。筆者も本作を鑑賞し、このセリフに出会い、襟を正した次第です。
この発言をきっかけに、議論の風向きは代わり、ついに公演主催が決定します。そして、幾度となく中止の瀬戸際にたちながら、団結した若い力はとうとう公演当日を迎えます。果たしてその結末は…?

お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか?

「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」より

マンションの前で行き倒れていた樹(岩田剛典)が、さやか(高畑充希)に声をかけたセリフ。共同生活を始めることになった二人の、運命的な出会いのシーン。

人を愛することは 厳しいことなんだよ
それは戦いでさえある

「愛と誠」より

東京の財閥の娘・早乙女愛(早乙女愛)は、幼少時に蓼科の別荘でスキーをしている最中に危うく谷に転落する寸前、地元の不良少年・太賀誠(西城秀樹)に助けられるが、その時に彼の額には深く大きな傷が残った。
9年後、同じく蓼科で高校の部活合宿中に暴走族の襲撃に遭う愛を、偶然にも誠が再び助けるという運命的な再会を果たす二人だが、誠は警察に補導されてしまう。
愛は、過去と現在の二重の償いをすべく、父の権力で、誠を自分も通う名門・青葉台高校に転入させた。しかし、誠は手段を選ばぬ暴力で学園を支配し、その横暴は日増しに激化、誠を転入させた愛の立場も悪くなっていた。
そんな誠の常軌を逸した暴君っぷりが、かつて自分を救った際に負った傷に起因し、そのせいで誠の家族は離散、そんな運命への復讐として、無軌道な暴力人生を送っていると知った愛は、学園と親に内緒のアルバイトを始め、稼いだ金を誠に貢ぎ始めるが…。
このセリフは、愛へ一方的な恋心を寄せる同級生の岩清水弘(仲雅美)が、誠への贖罪に身を持ち崩しながらも暴走する愛を見かねて発した言葉。単に金を与え甘やかすことは共依存の負のサイクルが加速するだけで、愛のためにも誠のためにもならない、それは贖罪にもならないと諭す。
いくら引け目や負い目があるからといって、悪を悪だと諭せない不毛な関係の先には堕落しかない。映画の中ではそこまで描かれてはいませんが、自分が恋慕する相手でも道を逸れていれば甘い言葉を捨て厳しく諫めるこの岩清水弘という男は、なかなか見どころのある人物なのかもしれません。

どこにいたって、愛がありゃあ、天国なんじゃないの?そういうもんだよ。

「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(第33作)」より

寅次郎(渥美清)旅先の宿で相部屋となったのは、男を作って逃げた女房を東京から遥々連れ戻しに北海道の根室までやってきたサラリーマン・福田栄作(佐藤B作)。本来は賑やかな都会が好きな性格の女房がこんな人里離れたド田舎で幸せに暮らしてるのかと訝しむ男に、寅次郎が言ったひと言。幸せに場所は関係ない。旅また旅で根無し草の人生を送ってきた寅次郎ならではの発言とも言える。

「愛しちゅうが?」「愛してる。だって俺から女房取ったら何も残らないもん」「ええなあ。そんな風に愛されて」

「釣りバカ日誌14 お遍路大パニック!(第16作)」より

多忙な日々に疲れたスーさんは、ハマちゃんと四国八十八カ所のお遍路の旅に出る。高知で知りあった男まさりのトラック運転手のみさき(高島礼子)と親しくなり、みさきの実家が営む旅館に泊まる。先に寝てしまったスーさんをよそに、楽しくお酒を飲んで語っている時、夫に先立たれて寂しさを抱えているみさきがハマちゃんと交わしたセリフ。少し艶っぽい雰囲気になったものの、やはりハマちゃんの愛妻ぶりはブレなくて安心したシーンです。

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