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邦画(日本映画)とは?世界を魅了する映像文化を徹底解説!

2024.08.29

邦画とは

はじめに

知られているようで、意外に知られていない邦画という文化。日本には120年以上にわたる映画製作の歴史があり、さまざまな名作が生まれてきました。時代や作り手によって、そこには独特の傾向が生じています。そんな邦画のいろはを解説します。邦画がもっと好きになる、そんなページになれば幸いです。

歴史ある松竹の邦画作品をおうちで楽しみたい方は、公式サイトからぜひチェックしてみてください。

邦画(日本映画)の定義とは?

邦画とは日本国内で製作された作品を指します。一般的には国内で出資され、日本人の監督が日本人の役者を起用して日本で撮影した作品です。とはいえ、黒澤明監督や大島渚監督ら世界的な名匠は海外の資本で撮ったこともあり、また滝田洋二郎監督の『僕らはみんな生きている』(1993年)のように海外でロケされた作品も少なくありません。

これらの作品にしても邦画という見方がなされることがあります。日本映画も邦画と同義語で、そこに大きな違いはありません。また、日本のスタッフとキャストが製作に関わる以上、そこには日本の習慣やメンタリティが反映されます。すなわち、邦画は日本文化を理解するうえで重要な役割を果たしているといえるでしょう。

邦画(日本映画)の魅力

東京物語

映画は世界各国で作られていますが、日本には120年以上の映画の歴史があり、海外の名作の影響を受けながら、独自の発展を遂げてきました。そんな邦画の魅力を、大まかにではありますが紹介します。

重厚なストーリー

邦画の名作は古くから、人間の感情の機微にスポットを当て、そこにドラマを見出してきました。日常的な会話の中から浮かび上がる人と人との関係性や、キャラクターの喜怒哀楽。セリフは簡潔で、言葉に表われる感情だけでなく、言葉にならない感情もすくいとる妙。観客は、そこに感情を重ねて映画を味わいます。ハッピーエンドもアンハッピーエンドも、そんな下地があるからこそ重厚で、心の深いところに響いてきます。

繊細な映像表現

たとえば『東京物語』(1953年)に代表される小津安二郎監督の名作は、緻密な映像の構図によって築かれてきました。そこに咲く花、そこにある置物、そこにいる人。固定カメラでとらえられたそれらは、なんらかの意図をもってそこに存在しています。

ときにはキャラクターの心象風景として、ときには状況のシンボルとして。そんな深みを感じさせる映像美は邦画の大きな魅力でもあります。映画以前から存在する娯楽である歌舞伎や浄瑠璃などの大衆芸能の様式美も取り入れ、独自の発展を遂げたことも邦画の特色と言えるでしょう。

反映される日本の文化と美意識

日本の風景を切り取り、日本人を映した作品である以上、そこには日本の文化が必然的に宿っています。衣食住といったシンプルな日常の描写をとっても、そこには日本的なものが感じられます。

また、過去の時代が描かれた作品には、武士道や剣術、茶道など、日本人の精神性が反映された伝統的な要素が見えてきます。加えて、四季の変化が明確な土地柄であるため、折々の風景は美しさとともに観客の心に沁み込んでいきます。雪で冬を悟り、桜の描写で春を知る、そんな表現の簡潔さも魅力と言えるでしょう。

世界的に有名な映画監督たち

邦画の分野には世界レベルで名を馳せた映画監督が多く存在します。その中でも、特に有名な3人の名匠を紹介します。

小津安二郎監督

小津安二郎監督

ヴィム・ヴェンダース監督やジム・ジャームッシュ監督、ホウ・シャオシェン監督など、世界の名だたる鬼才がリスペクトを公言している小津安二郎監督。日常の何気ない描写を積み重ね、家族の変容という普遍のテーマを語る手腕は高く評価され、とりわけ没後に世界から賞賛されるようになりました。

ローアングルや固定カメラによる撮影、水平線を強調した構図など、その映像世界には独特の美学が宿り、“小津調”と称されるほど。代表作『東京物語』(1953年)は、海外のオールタイムベストの選出がある際には、必ずといってよいほど上位にランクインする名作です。

小津安二郎監督作品については、こちらのページでも詳しく解説しています。
2023年に生誕120年を迎える小津安二郎。世界を魅了する映画作りの秘密

黒澤明監督

白痴(黒澤明監督作品)

世界でもっとも有名な日本の映画監督というと、黒澤明監督に尽きます。スピルバーグやスコセッシ、イーストウッド、ジョージ・ルーカスなどハリウッドの映画人が敬意を口にし、代表作『羅生門』(1950年)や『七人の侍』(1954年)は世界中の観客に観られています。

妥協を許さない製作姿勢は有名で、リハーサルを念入りに積み重ね、複数のカメラを駆使して臨場感やリアリティのある映像を構築。人間の内面への深い洞察も高く評価されています。人間ドラマの名作『生きる』(1952年)が英国でリメイクされたのは記憶に新しいところです。

山田洋次監督

山田洋次監督

92歳の現在も創作活動を続け、2023年には『こんにちは、母さん』も好評を博した山田洋次監督。60年以上にわたって映画監督として活躍しているこの名匠は、古き良き日本映画の黄金時代の生き証人でもあります。庶民の生活をベースにして、喜怒哀楽を素朴かつ丁寧に紡ぐヒューマンドラマの名手。

自然な演出を心がけ、現場でのひらめきを大事にする姿勢は現在も変わっていません。ハリウッドでリメイクされた『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)などの名作はもちろん、『男はつらいよ』シリーズなどの人情喜劇でも知られています。

山田洋次監督作品については、こちらのページでも詳しく解説しています。
巨匠「山田洋次」監督の映画づくりと新作・名作を要チェック!

邦画の歴史を作ってきた映画監督3名をここでは取り上げましたが、他にも日本には世界的にその名を轟かせる名匠がいます。21世紀以降に高い評価を得た監督も多く、『千と千尋の神隠し』(2001年)と『君たちはどう生きるか』(2023年)で2度、米アカデミー賞長編アニメーション賞を受賞している宮崎駿監督はその筆頭といえるでしょう。

カンヌ国際映画祭パルムドールに輝く『万引き家族』(2018年)の是枝裕和監督や、『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督、『ゴジラ-1.0』(2023年)でアジア映画初の米アカデミー賞視覚効果賞に輝いた山崎貴監督も、世界がその動向に注目している鬼才です。

邦画(日本映画)と洋画の違いとは?

邦画(日本映画)と洋画の違い

映画は世界中で作られていますが、国が違えば作品の傾向も違ってきます。ここでは主にアメリカ・ハリウッドの作品と比べて、邦画の特徴を探ってみましょう。邦画の特色が、より鮮明になるはずです。

ストーリーやテーマの違い

ハリウッド作品は特にそうですが、エンタテインメント性の高い作品が主流で、SFやファンタジーなどの大作が目立っており、ヒーローの活躍や勧善懲悪といったわかりやすい作品が多い傾向にあります。一方の邦画は現実に根差したヒューマンドラマが主流で、言葉で説明するよりも、仕草や振る舞いといった表現を重視。

感情の移り変わりが物語を動かし、人間の強さと弱さを浮き彫りにする、そんな作品がこれまで多数作られてきました。もちろん、これらはざっくりとした違いであり、すべての作品に当てはまるわけではありませんが、そのような傾向は知っておいて良いでしょう。

表現方法の違い

洋画の主流のジャンルといえば、なんといってもアクション。スペクタクルは派手で、スケールの大きなビジュアルが魅力でもあります。対して、邦画は繊細な演技や美しい映像で観客を魅了する作品が多いと言えるでしょう。これには予算の違いも関係しています。

ハリウッド大作の場合、製作費が1億ドルを超えることはざらですが、邦画でこれほどの大金を製作に注ぎ込むことはありません。限られた予算で、最大限によいものを作ろうとする意気が日本の映画人の伝統と言えるかもしれません。こちらも、あくまで傾向であり、すべての作品に言えるわけではないことをお断りしておきます。

洋画と邦画(日本映画)の違いについては、こちらのページでも詳しく解説しています。
洋画と邦画(日本映画)で異なる見るべきポイント

100年以上!邦画(日本映画)の歴史

1893年にトーマス・エジソンが映写機の公開実演を行なったことによって始まった映画の歴史。3年後、この技術は日本に伝来し、邦画の歴史が動き出します。以来、120年以上にわたり邦画は年輪を重ねてきました。

活動写真の全盛期からトーキーへ、敗戦から復興へ、高度経済成長からバブルへ、映画はその時々の時代を映す鏡として観客に愛され、今なお変化を遂げています。そんな邦画の歴史を、改めて振り返ってみましょう。

1896年~1910年代、邦画のはじまり

1896年、エジソンと部下たちが開発した映写システム・キネトスコープは海を越えて日本に上陸します。これを使って神戸で初の興行が行われたのが映画上映の始まり。1898年には日本でも短編映画が撮影され、『化け地蔵』『死人の蘇生』が公開されました。

翌年には劇映画が製作され始め、『紅葉狩』などの作品で歌舞伎俳優たちが出演者として起用されます。以後、映画製作のシステムが構築され、1908年には日本初の本格的な劇映画『本能寺合戦』が製作され、牧野省三監督は邦画最初の映画監督としてその名を刻みました。1910年代になると国産の映画は量産されるようになり、“活動写真”は大衆の人気娯楽となっていきます。

1920年代~1940年代、無声映画からトーキーへ

マダムと女房

活動写真の名で親しまれたスクリーン上映は、1920年代に入り“映画”という呼び名によってエンタテインメントとしての地位を築いていきます。この頃の映画は無声映画で、音声がフィルムに刻まれておらず、活動写真弁士と呼ばれる解説者が物語について説明を入れていました。

変化が訪れたのは1927年。史上初の音声付映画、いわゆる“トーキー”の先駆けとなったハリウッド映画『ジャズ・シンガー』に影響を受け、日本初のトーキー作品『黎明』が製作されます。1931年には松竹が初めて国産フィルムでトーキーの製作を開始。同時に牧野省三監督、小津安二郎監督、溝口健二監督といった、後の邦画界を支える人材が羽ばたいていきます。ちなみに、この頃の邦画は時代劇や喜劇が多く、小津監督もこの時代は喜劇で腕を磨き上げていました。

1950年代、時代劇ブームの到来

カルメン故郷に帰る

太平洋戦争から敗戦を経て、一度は落ち込んだ日本の映画産業は1950年代の高度経済成長期、急激に盛り返します。1951年、黒澤明監督の『羅生門』がヴェネチア映画祭グランプリを受賞して世界的なヒットを記録。さらに1954年には『七人の侍』がまたも国際的な評価を確立。

また、溝口健二監督の『雨月物語』をはじめとする諸作も海外の映画祭で賞賛されました。これらによって邦画は時代劇ブームに染まっていきます。一方でモノクロからカラーへの移行期となり、1951年には邦画初の総天然色映画である木下恵介監督の『カルメン故郷に帰る』が登場。

小津安二郎監督の『東京物語』(1953年)などの人間ドラマ、木下惠介監督の『日本の悲劇』(1953年)などの社会派ドラマ、『ゴジラ』(1954年)のような怪獣映画も好評を呼び、邦画の多様化の芽生えが確かに感じられる時代となりました。

1950年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
邦画(日本映画)の全盛期!1950年代の映画史と松竹作品15選

1960年代、娯楽映画の隆盛

男はつらいよ

高度経済成長がピークを迎えた1960年代、邦画はより多様化し、裾野を広げていきます。東映の任侠路線と呼ばれたやくざ映画や、日活が牽引したアクション映画はブームを巻き起こしました。東宝の製作による黒澤明監督の作品は、この頃も好調で質的にも高い評価を受けています。

松竹では大島渚監督や吉田喜重監督といった新しい才能が“松竹ヌーベル・バーグ”の旗手として注目を集める一方、伝統の庶民派喜劇の流れを汲む『男はつらいよ』(1969年)も誕生します。1940年代から製作されはじめた長編アニメ―ション作品がファミリー層の支持を得て量産されるのもこの頃です。ジャンルは確かに充実しましたが、興行的にはテレビの普及により斜陽化の傾向にありました。

1960年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
1960年代は名作邦画(日本映画)の宝庫!?昔を振り返る松竹作品15選

1970年代、低迷期と新ジャンルの誕生

砂の器

1970年代、映画人口はピーク時の7分の1ほどに落ち込んでしまいます。映像エンタテインメントの主流は映画からテレビへと移行。当時の邦画は新作を2本立てで2~3週間おきに公開するプログラムピクチャー方式が主流でしたが、この興行形態も見直しを余儀なくされます。

突破口を切り拓いたのは大作一本立て路線。小松左京の小説を映画化した『日本沈没』(1973年)が大ヒットしたのを皮切りに、『砂の器』(1974年)、『犬神家の一族』(1976年)、『八つ墓村』(1977年)、『八甲田山』(1977年)など、製作のみならず宣伝にも大金を注ぎ込むシステムが出来上がっていき、邦画界はゆるやかに、この方向へと舵を切っていきます。

また、日本アカデミー賞が1978年に設立されたことで、『幸福の黄色いハンカチ』などの名作が確固たる評価を得るようになりました。ドキュメンタリー映画もこの頃から多く作られ始めます。

1970年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
映画業界が大きく変わった1970年代!当時を代表する松竹作品15選

1980年代、多様化する邦画界

釣りバカ日誌

映画人口は1980年代に入り、さらに減少。とはいえ、大作路線を継承したことにより、邦画はとてつもないヒットを生むジャンルとなりました。とりわけ、テレビ局が製作に加わった作品は露出の多さによる宣伝の強みを発揮し、『南極物語』(1983年)は当時の邦画の興行収入記録を塗り替える大ヒットとなりました。

一方で、息の長い人気を誇っていた『男はつらいよ』シリーズの併映作品として『釣りバカ日誌』(1988年)が登場。この後同作はシリーズ化によって人気を博し、庶民派喜劇の健在をアピールします。また、この時期には後に世界的な鬼才となる映画監督ふたりが台頭。

ひとりは宮崎駿監督で、『風の谷のナウシカ』(1984年)を皮切りに大ヒットアニメーションを次々と放ちます。もうひとりの北野武監督は『その男、凶暴につき』(1989年)で映画監督デビューを果たし、世界への第一歩を踏み出しました。

1980年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
昭和を感じる!1980年代の邦画(日本映画)松竹作品15選

1990年代、バブル経済崩壊による業界の低迷

学校

1990年代はバブル経済の崩壊により、邦画はさらに低迷してしまいます。映画興行の本流はハリウッド大作となり、“洋高邦低”という言葉が業界内で囁かれていた時期。そんな中でもスタジオジブリのアニメーションは人気が定着し、『もののけ姫』(1997年)は当時の邦画の歴代興行収入記録を大きく塗り替える193億円を叩き出しました。

ちなみに、1990年代にこれを上回った洋画は『タイタニック』(1997年)のみ。一方で、邦画は国際的に高く評価される作品を次々と放っていきます。今村昌平監督は『うなぎ』(1997年)で、『楢山節考』(1983年)に続く2度目のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞。さらに北野武監督の『HANA-BI』(1998年)はヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞するなど、世界の頂点に立つ名作が生まれました。

1990年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
ちょっと懐かしい!90年代の邦画(日本映画)松竹作品15選

2000年代、デジタル技術の発展

たそがれ清兵衛

日本の興行における“洋高邦低”は2002年にピークに達しましたが、その後、邦画は盛り返し、2006年にはシェアが21年ぶりに洋画を上回りました。この傾向は現在も続いています。その原動力となったのは、やはりアニメーションで、スタジオジブリの作品はもちろん、「ポケットモンスター」や「名探偵コナン」などのシリーズものが好調。

ジブリの『千と千尋の神隠し』(2001年)は『タイタニック』を抜いて当時の歴代トップとなる興行収入を上げたばかりか、ベルリン国際映画祭ではアニメ作品として史上初の金熊賞を受賞する快挙を成し遂げました。

また、デジタル技術の発達によってSFやファンタジー、歴史スペクタクルが製作されるようになり、邦画の可能性は拡大。映画館の形態もシネマコンプレックス、いわゆるシネコンが主流となり、2009年には国内の映画館の8割強を占めるようになりました。

2000年代のおすすめ作品は、こちらの記事で詳しくご紹介しています。
記憶に新しい!2000年代の名作邦画(日本映画)松竹作品15選

邦画(日本映画)を観るなら、DVDや動画配信サービスで

ソフトでのリリースはもちろん、動画配信のプラットフォームも充実している昨今、映画鑑賞はこれまで以上に身近なものとなっています。邦画の名作も以前に比べて見つけやすくなりました。気になる作品があれば、ぜひDVDや動画配信をチェックしてみましょう。

まとめ

邦画の120年以上の歴史の中、多くの名作が生まれ、観客に感動をあたえてきました。それは現在も受け継がれており、今この瞬間にも新たな名作が生まれつつあります。もちろん、それらは過去の名作のうえに成り立っており、邦画の進歩へとつながっています。未来の邦画に期待しつつ、過去の素晴らしい映画にも、ぜひ触れてみてください。

この記事を書いた人

相馬学

1966年、秋田県生まれ。情報誌の編集を経てフリーライターとなり30年。「SCREEN」「DVD&動画配信でーた」などの雑誌や劇場パンフレットなどの紙媒体、「シネマトゥデイ」「ぴあ映画生活」などのインターネット媒体で取材記事やレビューを執筆。

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