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今日もまたかくてありなん
- 公開年月日
- 1959年9月27日
- キャスト
- 久我美子
高橋貞二
三國連太郎
田村高廣
十七代目中村勘三郎
- スタッフ
- 脚本:木下惠介
監督:木下惠介
撮影:楠田浩之
照明:豊島良三
美術:梅田千代夫
音楽:木下忠司
- 区分
- 邦画
- ジャンル
-
人間ドラマ
- 本編尺
- 74分
- カラー
- カラー
- 製作国
- 日本
- 製作年
- 1959年
Introduction(作品紹介/概要)
『楢山節考』を観て感銘を受けた十七代目中村勘三郎が木下惠介監督と仕事がしたいとラブ・コールをかけ、その意を受けて木下監督が彼を想定して脚本を執筆、演出にあたった人間ドラマ。「今日もまたかくてありなん」と願う庶民のささやかな生活を脅かす悪を決して許してはいけないという、木下監督の強固な意志が如実に反映された作品で、勘三郎はその代弁者として画面を席巻していく。松竹蒲田時代からの伝統の小市民映画の韻を踏みつつ、クライマックスでは激辛の展開を披露するという構成も含めて、どこかしら仁侠映画の魁のようにもかんじてならない。ヤクザ役で三國連太郎が久々に木下映画出演を果たしている。
Story(あらすじ)
湘南の海の近くの小住宅が、佐藤の家である。主人の正一(高橋貞二)は、東京の会社へ勤める安サラリーマンだ。妻の保子(久我美子)は息子の一雄(十七代目中村勘三郎)と家事に忙しい。平凡な生活。家の借金返済のためもあり、会社の部長に月六万円で避暑用に家を貸すことにした。正一は東京の同僚のアパートに転がりこみ、保子は子を連れ、軽井沢の実家に帰った。雑貨屋の実家には、母(夏川静江)のほかにタクシー運転手の弟哲生(田村高廣)、働き者の春子(小林トシ子)夫妻とその子、小諸の町工場勤めの弟、真面目な五郎(小坂一也)たちが和やかに暮らしている。鍋を買いに来た中老の男・周助(十七代目中村勘三郎)は一年ほど前から材木屋のはなれに小さい女の子と住んでいる。五郎は帰着した材木屋の娘紀子(藤山陽子)に淡い恋を感じた。流れこみのヤクザ・赤田(三國連太郎)の子分どもが、紀子とその友人たちをおどし、殴りつける事件が起きた。子供たちの水遊びを見守りながら、周助はそれらヤクザたちへの憤りを保子にもらす。佐藤が東京からやってき、北軽井沢に避暑の専務夫人を訪問した。麻雀のお相手である。保子は同行したが、会社のことばかり考えている夫が不満だった。彼女が周助の家を訪ねた時、彼は石屋に頼まれた墓の戒名を書いていた。彼は元陸大出の軍人で、戦争で人間を殺した罪を感じ、子供だけを頼りに、旅館女中の妻とも江(藤間紫)の仕送りで細々と暮らしているという。恩給さえも断ったから、妻は怒り、今では名ばかりの夫婦である。彼の口ずさんだ藤村の詩が保子の心の底にしみこんだ。
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