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喜びも悲しみも幾年月
- 公開年月日
- 1957年10月1日
- キャスト
- 佐田啓二
高峰秀子
有沢正子
中村賀津雄
桂木洋子
三井弘次
- スタッフ
- 原作:木下惠介
脚本:木下惠介
監督:木下惠介
撮影: 楠田浩之
照明:豊島良三
美術:伊藤熹朔
美術:梅田千代夫
音楽:木下忠司
- 区分
- 邦画
- ジャンル
-
人間ドラマ
- 本編尺
- 160分
- カラー
- カラー
- 製作国
- 日本
- 製作年
- 1957年
Introduction(作品紹介/概要)
木下忠司・作曲の名主題歌に乗せて、およそ四半世紀にわたって灯台守夫婦が織り成す抒情的年代記。名匠・木下惠介監督ならではの前向きでつつましやかな人間愛が、見る者に怒涛のような涙と感動をもたらしていくヒューマン超大作!北は北海道・納沙布岬から南は五島列島の女島まで全国15か所の縦断ロケを敢行し、日本各地の風景を美しく描く総天然色の映像美も特筆に値する。
Story(あらすじ)
上海事件の昭和七年。新婚早々の若い燈台員有沢四郎ときよ子は、東京湾の観音崎燈台に赴任して来た。日本が国際連盟を脱退した年には、四郎たちは雪の涯北海道の石狩燈台へ転任になった。そこできよ子は長女雪野を生み、二年後に長男光太郎を生んだ。昭和十二年には波風荒い五島列島の女島燈台に転勤した四郎一家はともすると夫婦喧嘩をすることが多くなった。きよ子は家を出ようと思っても、便船を一週間も待たねばならぬ始末であった。気さくな若い燈台員野津は、そんな燈台でいつも明るく、台長の娘真砂子を恋していたが、真砂子は燈台員のお嫁さんにはならないと野津を困らせた。昭和十六年、太平洋戦争の始まった年に有沢一家は、佐渡の弾崎燈台に移り、今は有沢も次席さんとよばれる身になっていた。B29が本土に爆音を轟かす昭和二十年、有沢たちは御前崎燈台に移り、東京から疎開して来た名取夫人と知合った。まもなく野津といまは彼の良き妻の真砂子が赴任してきた。艦載機の襲撃に幾多の燈台員の尊い命が失われた。戦争が終って、野津夫婦も他の燈台へ転勤になった。それから五年、有沢たちは三重県安乗崎に移った。燈台記念日に祝賀式の終ったあと、美しく成長した雪野と光太郎は、父母に心のこもった贈物をするのであった。やがて雪野は名取家に招かれて東京へ勉強に出ていった。
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